エスプレッソがあるのにどうしてマッキアートがないのか

もう20年以上前、来日中の夫家族とイタリア料理店でランチをしていた時のこと。けっこう美味しいね、エスプレッソまであるね、と皆、満足に食事を終えました。

しかし最後に私がメニューにはない「(エスプレッソにミルクを足す)マッキアートはできますか?」とスタッフに聞いた際、「メニューにないものはできません」と断られると、オーダーをした私以上に納得いかない様子の舅がしつこく私に聞いてきました。

エスプレッソがあるのにどうしてマッキアートがないのか。牛乳くらい厨房にあるだろうに、なぜエスプレッソに牛乳を足すことくらいもできないのか、と。というのも、イタリアではメニューのアレンジリクエストはほとんどが受け入れてもらえるからです。

たとえば、トスカーナの前菜の定番・クロスティーニ。パンにいろんなパテを塗ったものですが、数種類の盛り合わせではなく、みんなが大好きなレバーパテだけにしてもらうことがよくあります。

あるいはピッツァを頼む時、モッツァレッラチーズが倍増の「ドッピア・モッツァレッラ」。ある具材を抜く、または違う具材にするのはもちろんのこと、具材を1から組み合わせてオーダーする人もいます。具材がないという理由以外では、断られることはまずありません。

そういった話を日本ですると、メニューにないのに値段はどうなるの? と聞かれますが、ベースとなるメニューと同料金か、追加具材分だけプラスになっている程度。頼むほうもそれを知っているし、それほど気にかけることもありません。

2024年の夏に2年ぶりに日本に帰省した時、外食で困ったのはタッチパネルでのオーダーでした。好き嫌いの多い次男の野菜抜きをお願いしたい、とスタッフに聞いても、タッチパネル以外のオーダーはできないとの返答です。聞いてみた3つの飲食店、すべてが同じ答えでした。タッチパネルでのオーダーは人件費削減や利便性が高いのでしょうが、そこには人のコミュニケーションは存在せず、例外は受け付けてもらえません。

イタリアは適当、と日本ではいい加減に近い悪い意味でとらえられがちですが、適当とは本来、「ある性質・状態・要求などに、ちょうどよく合うこと」。決まっていることから外れない、効率や利便性を優先するべき時もあります。しかし、できる範囲で柔軟に、ちょうどよく合わせる良い意味での適当さは、飲食店のオーダーだけでなく生活全般、生き方全般に必要なことなのかもしれません。

中山久美子
日伊通訳
コーディネーター