家の借金を返済するため、高校を1年で中退しマグロ漁船員になった筆者。3つの船で近海マグロ漁を経験すると、初めての遠洋マグロ漁船に誘われます。そこでは、今までやったことのない作業があったり、他の船員から暴力を受けたりと、悩み事も多かったとか。菊地誠壱氏の著書『借金を返すためにマグロ漁船に乗っていました』(彩図社)より、詳しくみていきましょう。

テメー、陸に上がったら見てろよ!…“パワハラ上司”に啖呵を切った17歳「マグロ漁船員」の末路
筋金入りのヤンキー秀樹ちゃんの“武勇伝”
「隣町の有名な不良のAくんが秀樹ちゃんにヤキを入れられた。XJ400に乗って日章カラーのジェットヘルを被って『ゴラー! テメー!』とか言いながら追いかけられたらしい」
とか、そんな噂をよく聞いていました。間違いなく筋金入りのヤンキーです。
秀樹ちゃんのバックも得体が知れなくて、名前が出るのは有名な人ばかりでした。付き合いが悪くなったという理由で不良たちが秀樹ちゃんの部屋に上がり込んでいきなり秀樹ちゃんを殴るとか、単車で遊んでいたら車で来て秀樹ちゃんが拉致られるとか、秀樹ちゃんの周りには怖い先輩方がいて、不穏な話が絶えませんでした。
こんな感じの秀樹ちゃんなので、気を遣わずに付き合えるという感じにはなりませんでしたし、私とは相性がよくないと思っていました。
とはいえ、マグロ漁船に一緒に乗った英雄さん※やその友達の組長さんと仲良くなれたのは、この秀樹ちゃんを通してでした。組長さんと秀樹ちゃんは一緒にマグロ漁船に乗船していたこともあるそうです。不良のネットワークというわけですね。
※…リーゼントパーマをあてていて、色黒で身体が大きく、迫力のある外見。喧嘩が強く豪快で、筆者の地元では有名人。筆者を18秋洋丸での航海に誘った。
初めての遠洋マグロ漁船…“地獄の4か月”のはじまり
こうして近海マグロ漁船だけ経験していた私は、18喜龍丸という遠洋マグロ漁船に乗ることになりました。早速秀樹ちゃんと仕込みに向かい、船頭さんに挨拶して私物を詰め込みました。
覚悟を決めて、4か月間の航海へと出発です。
出船後、約2週間はひたすら船を走らせました。目的地はハワイよりさらに先、中米のパナマ付近です。この間は操業しませんが、船員にはいろいろと仕事があります。
特に大変だったのが、ブラン※刺し。ブランを縄刺しの要領でほどいて編み込んで、スパイキ(先の尖った棒)を使って刺していきます。これが難しいというか、そもそも近海マグロ漁船ではやったことのない作業だったので、なかなかできませんでした。ブランはマグロが掛かったときに引っ張る仕掛けの細い縄ですが、縄刺しをするときの縄よりもずっと細いので、なかなか刺せません。
※…仕掛けがついている枝縄。
ブランと悪戦苦闘していると、この船のボースン※が寄ってきました。
※…甲板長はボースンと呼ばれ、船の甲板の上でのさまざまなことを取り仕切るマネージャーのような役職。船の中ではナンバー2のポジション。
「なんだ、ブラン刺しできねえのか?」
「はい、すいません……」
「そうかそうか。ならシメつけながら教えるしかねえな」
「すいません……」
シメつけながらとは、殴りつけながらという意味です。
ボースンは髭がボーボーで髪も長く、体も大きいので熊みたいな男です。このボースンがパワハラを繰り返していました。