人間の行動を読み解く「行動経済学」。ときに不合理な選択をとってしまうのはなぜなのか、橋本之克氏の著書『世界最先端の研究が教える新事実 行動経済学BEST100』(総合法令出版)より、その心理をみていきましょう。
ゴミのポイ捨てをなくすため「罰金22万円」を科したシンガポールで、ポイ捨てが“増えた”ワケ【行動経済学】
罰金を「免罪符」と捉える
このクラウディングアウトは、様々な場面で発生し、日常生活にも影響を及ぼします。経済学者のウリ・ニーズィーとアルド・ルスティキーニは「保育園での実験」で、そのことを明らかにしました。
実験が行われたイスラエルの保育園では、(多くの保育園と同様に)保護者が決められた時間までに、子供を迎えに来ないことが問題になっていました。その結果、閉園時刻を過ぎても保育士が残って子供の面倒を見なければならず、コストも労力もかかります。この実験では、遅刻をした保護者に対して罰金を導入して、その結果を観察しました。
方法は10カ所の保育園での20週にわたるフィールド調査です。最初の4週間は何もせず、全保育園でお迎えに遅刻する親をカウントしました。次に6施設で10分以上の遅刻に罰金を科しました。残りの4施設はそのままです。この罰金制度の導入後17週目に罰金制度を撤廃しました。
実験の結果、まず罰金を導入した保育園で遅刻する親が明らかに増加しました。その後に罰金を撤廃しても、遅刻する親の数は増えた状態のままで、戻りませんでした。何もしなかった最初の4週間よりも、むしろ増えた状態に留まってしまったのです。
このような結果になったのは、保護者たちが罰金を抑止策でなく「別のお金」と認識したことが原因と考えられます。
罰金導入前の保護者は、保育園に気を使い、遅れないように努力するという内発的モチベーションを持っていました。ゆえに、可能な限り時間内に迎えに来ていたのです。
ところが罰金導入後に保護者は、これを遅刻の「免罪符」としました。遅刻に対する「罰金」ではなく、保育時間後に少しの間、子供を保育してもらう「対価」ととらえたのです。「どうせ支払ったお金は保育園の追加収入になるだろう」と考え、これは保護者と保育園の双方に有益だと一方的に解釈したのです。
その結果、以前は遅刻の歯止めとなっていた「罪悪感」を抱かなくなってしまいました。つまり、罰金という金銭的な負の外発的モチベーションによって、協力的な保護者であろうとする内発的モチベーションがクラウディングアウトされたのです。
人間をモチベートするのは難しいものです。保育園のケースでは、外発的モチベーションと内発的モチベーションが保護者の心の中でぶつかり合いました。結局はお金が良心をクラウディングアウトしてしまう結果に終わります。そして、非常に重要な「モラル」が損なわれてしまいました。一度傷ついたモラルはなかなか修復されません。
シンガポールの罰金制度は、まさに外発的モチベーションです。当初は効果がありましたが、内発的モチベーションがなかったため、問題は解決されなかったのかもしれません。
世の中に罰金制度は数多くありますが、罰金に頼っても根本的な課題は解決されません。外発的モチベーションによって表層的な結果をコントロールできても、より良い行動を自主的に起こさせることはできないのです。
この教訓からは、人を動かす仕組みを作り運用する際には、外発的モチベーションと内発的モチベーションを的確に組み合わせることが重要だとわかります。これがうまく行けば、高い効果を上げられます。
橋本 之克
マーケティング&ブランディング ディレクター/著述家