ただ頑張って売るのではなく売れるポイントを押さえるドミナント戦略

セールス初日、主人に「俺の知り合いのところには行くな」と言われてしまい、はて、どこに行けばいいものかと頭をひねりました。私の知り合いは、ほとんどが主人の知り合いでもあります。その道が断たれるとなると、まったく新しいところ、見知らぬ場所に行くしか選択肢はありません。


そこで、思い切って遠くまで行ってみることにしました。ターゲットにしたのは県営住宅。お客様となる奥様たちが1か所に多数集まっている県営住宅というのは、化粧品のセールスには最適の場所だと思ったんです。


まだ一戸建てを持つ前の、比較的若い世代がたくさん住んでいるということもありました。また県営住宅は当時、市街地から遠い場所にあったため、近所に化粧品を売っているお店はないだろうとも思いました。私は、ある種の嗅覚のようなもので県営住宅に通い始めましたが、このように、うまく商売ができる「場所」を選ぶというのは、基本として大切なことですね。

「時勢に乗っかる」という感覚も大事

昭和31年の「経済白書」で、有名な「もはや戦後ではない」と宣言されるなど、昭和30年代の日本は劇的な復興を遂げて、国全体が豊かになり始めていたのです。私がポーラ化粧品のセールスを始めたのは、昭和37年。当時、日本は高度経済成長のまっただ中でした。


しかも、そのころの日本は若い人の数が多く、働く場所も働く人も消費する人も多かったので、お給料もどんどん上がっていきました。「白物家電」と呼ばれる「炊飯器」「洗濯機」「冷蔵庫」が売り出されたり、カラーテレビの放送が始まったりしたのもこのころです。便利なものが登場して一家の主婦の家事の負担は大幅に軽くなりつつある時代でした。


食うや食わずの生活をしていたころは、食べることが第一でしたし、住むところの確保も重要な問題でした。美容もオシャレも、今日明日の生活の見通しが立たない中では、二の次三の次になるのは当然でしょう。ところが生活にゆとりが生まれるにつれ、女性たちの心に「オシャレをしたい」「もっときれいになりたい」という思いが再燃してきたのです。


これは、時代に恵まれたとしか言いようがありませんが、うまく商売をするためには、「場所」だけではなく、「時勢」に乗ることも大切なんだと思いますね。そんな時代に化粧品のセールスという仕事は、ぴったり合っていたのだと思います。


私が思った通り、県営住宅の奥様たちは、化粧品に強い興味を示してくれました。「家にいながら化粧品が買えるなんて便利だわ」とか「ちょうど欲しいと思っていたところだったの」なんて、初日からありがたい言葉をたくさんかけてもらいました。

お客さんが抱える問題を解決する

やはり化粧品が欲しくても遠くまで行かないと買うことができないため、ほとんどの人がお肌のお手入れをしていなかったのです。行きにはぎっしりと商品の化粧品が詰まっていたカバンの中身は、帰りにはほとんど空になるほどでした。「売れに売れた」と言っても過言ではないくらいでした。


女性が「きれいでいたい」と思えるくらい世の中が平和になったんだな、本当によかったな、としみじみ思いながら家路についたことを覚えています。そんなふうにして、私のセールスレディとしての記念すべき初日は過ぎていきました。今回、本を出す機会をいただいて、これまでの自分自身の歩みを振り返ってみました。自分でも話しているうちに気づいたことが多々あります。

堀野智子
ビューティーアドバイザー