義母の認知症が8年前に始まり、義父も5年前に脳梗塞で倒れた……。仕事と家事を抱えながら、義父母のケアに奔走する日々が始まった翻訳家・エッセイストとして知られる村井理子さんのエッセイ『義父母の介護』(新潮社)より、義父母の介護に奔走する奮闘記をお届けします。
「高校生は24時間ハンバーガーを食べる生き物なんですよ!」と叫びたくなった瞬間…義父母の介護に奔走するエッセイストが思った「介護を受けるのが上手な人」と「介護を受けるのが下手な人」の違い
介護を受けるのが上手な人、下手な人
後期高齢者には、「介護を受けるのが上手な人」と「介護を受けるのが下手な人」がいると私は思う。わが家の場合、前者が義母、後者が義父だ。
私の勝手な基準で申し訳ないが、介護を受けるのが上手な人は、ポジティブだ。例えば失敗したとしても、次はがんばろうとか、今回は諦めようとか、あくまで明るく先を見ることが出来る人だと思う。ありがとう! と気持ちよく言える人。そんなイメージがある。
最近はもの忘れも大変多く、何かと問題を抱える義母だが、その明るさは周囲の人も楽しい気分にさせてくれる。ありがとうねという言葉を決して忘れない彼女は、ヘルパーさんの間でも人気者だと思う。
私が大変苦手とする「介護を受けるのが下手な人」の特徴は、しつこい、暗い、重いの三拍子である。義父以外の何ものでも無い。誤解しないでほしい。私は義父が悪い人間だとも、義父のことが嫌いだとも言っていない(軽くは嫌いかもしれない)。ただ、彼に漂う陰気な雰囲気は今に始まったことではなく、私の悩みのひとつなのだ。
義母の認知症が進行してから、義母がそれまでやっていた家事を自分でやるようになったことは、大変素晴らしいと今でも思っている。そうではあっても、ここのところ数十年、彼が周囲にまき散らす負のオーラには参ってしまう。
先日、たまたま立ち寄った実家で訪問看護師さんと遭遇したときのことだ。みんなで一緒にダイニングテーブルに集まって、雑談をしたのだが、その時、義父のあまりの陰気さに、訪問看護師さんも思わず、「暗いッ!」と言っていた。その言葉通りだ。暗いッ! 重いッ!
もちろん、理解しているつもりだ。長年連れ添った妻が、あのしっかり者だった妻が、調子の悪い日には自分のことを忘れ、忘れるだけではなく真顔で「早く出て行け」などと言うのだ。つらいに決まっている。数年前に発症した脳梗塞の後遺症で、体が思うように動かない日もある。嫁の性格がきつい。息子の性格もきつい。孫はなにより大切な存在だが、最近さっぱり家に来てくれない……。
「そんなの仕方ないじゃないっすか」と私は言った。「お義父さんはさ、なんでも暗く考えがちなんですよ。運命だと思って受け入れちゃえばいいじゃん! お義母さんは認知症。それは病気なの。だから仕方ないことなんですよ。それに、お義父さんもお義母さんも体は健康なんだから、それ以上素晴らしいことはないじゃないですか! 陰気な顔やめてもらえません? 私の運気まで悪くなるような気がするんだよな~」
文字にしてみると大変酷いことを言っているが、こうも言いたくなる気持ち、義父に対応して下さっているヘルパーさんであればわかってくれるはずだ。とにかくマイナス思考、そして病的な心配性なのだ。
そもそもこの心配性だって、義母の認知症がきっかけというわけではなく、随分昔からのことだ。雨が降るとわが家の電話が鳴る。「雨が降っているけど、大丈夫か!?」と半泣きのような声で言う。お前が大丈夫かと言いたい。雷が鳴れば「雷が鳴っているぞ!」と、泣きそうな声だ。電車が止まれば「電車が止まったぞ!」、台風が来れば「台風が来るぞ!」。
こんなことが続き、私がノイローゼになりそうになって、電話線をハサミで切ってしまったことがある。すると翌朝に、いきなりわが家にやってきた(当時はまだ車の運転ができた)。「死んでしまったかと思って、警察に通報するまえに確認に来た」ということだった。こんな事件が何度もある。
子どもたちが小さい頃は、もっともっと酷かった。すべては書き切れないし、私の怨念が噴出しそうなのでこのあたりでやめておくけれども。