「宝くじで1億円当たったら…」そんな妄想をしたことがある人は少なくないでしょう。しかし、身の丈に合わない大金はあなたを幸せにはしてくれないかもしれません。本記事では、落語家・立川流真打ちの立川談慶氏による著書『落語を知ったら、悩みが消えた』(三笠書房)から一部抜粋し、落語の一席とともに「大金」と「幸福」の関連性について考えてみましょう。
幸福の基準は低くていいじゃないか
そしてそれと同時に、この噺は「身の丈以上の大金を持って、果たして生きやすいのか」という人類永遠のテーマをも訴えているような気がしてなりません。
以前、宝くじ高額当選者のその後の人生を綴った本を読んだことがありますが、まさにこの落語のオチと同じように、「億万長者になって、本当に幸せだったか」という課題を突きつけられたような生活を営んでいたものでした。
いわゆる「持ちつけないカネ」は、不幸のもとなのかもしれません。
自分の周囲にも大金持ちがいますが、「海外への家族旅行は親子で時間差で行く」と言っていましたっけ。万が一、同じ飛行機に乗っていて事故に遭遇した場合の、相続遺産を考慮してとのことでした。
親子で一緒に飛行機にも乗れないなんて、金持ちには金持ちなりの苦労があるんだなあと、私は庶民で生まれたことに感謝するのみでした。
談志はいつも打ち上げなどで、サインには「幸福の基準を決めよ」と書いていたものです。「世界旅行なんかしなくても、1日中茶碗の蓋を眺めているだけで幸せを感じる奴にはかなわない」とよく言っていたものです。私の30年以上の落語家としての経験からもお伝えすると、「幸福の基準は、低ければ低いほどいい」のです。
「一人で行くすきやばし次郎より、家族で行くすき家」ではないでしょうか。やはり食事は食べる内容以上に、誰と食べるかこそ肝心なのだと確信しています。
立川 談慶
落語家・立川流真打ち