経験への昇華は投資と同義

翻って、生きたお金とは、こういう使い方を指すのではないでしょうか。

だからこそ特に若いときなどは、お金をそのように用いるべきで、いや、たくさんの世界に飛び込みたいという思いがあればあるほど、一生懸命働いてお金を稼ぐというモチベーションも上がっていくものだと確信しています。

考えてみたら、ワコールをやめて談志門下に入門した私も、毎月「上納金」というリスクを談志から背負わされた形でした。

しかし、さんざんネタにもしてきましたが、談志亡き後の私の現状を嚙みしめてみると、「談志から落語にまつわることすべてを学んだ」という意味で、それは一種の“投資”となっていました。その投資のおかげで、不景気とコロナ禍を乗り越えながら、今こうして出版の世界でなんとか食いつなげて“回収”している現状であります。

考えてみたら私の人生は、長い落語の旅のような感じでしょうか。談志という最強のツアコンに振り回されながら、一般的には得難い経験をさせてもらってきたからこそ、本にする値打ちがあると見込まれているのでしょう。

そして、この『目黒のさんま』に再び戻ると、未知なる下魚に挑戦してみるという“投資”が、殿様の真の味覚を呼び起こしたとも把握し直すことができるでしょう。

いや、もっと言うならば、「味覚には優劣がない」という結論なのかもしれません。何年か前に海外旅行でおいしいものをたくさん食べたことがありましたが、その旅行中で一番美味かったのが、深夜のホテルで食べたカップラーメンでした(笑)。

無論、それこそ経験してみて初めて気がついたことであります。

やはり、経験が肝心なのです。

経験のためにこそ、お金を使いましょう。そのために働きましょう。

立川 談慶
落語家・立川流真打ち