ほんとうの円熟社会とは

私たち人間は、ヒトである前にまず動物なのです。動物はモノを食べ、排泄し、ホルモンを分泌し、においを出す存在です。しかし、現代社会は、過剰な「清潔志向」に陥り、においや汗を追放しようとしています。その結果、ヌルヌル、ベトベト、といった生物が本来持つ、生命の感触を失いつつあります。


このようなひとりよがりの清潔志向が、ヒトという生き物にとって、きわめてあぶない兆候であることは、いうまでもありません。本来、ヒトという生命体は、細菌やウイルス類とも共生関係を結ぶことによって、その生命を維持しているのですから、細菌やウイルスをすべて遮断しようというのは到底不可能であり、もはや自殺行為でしかありません。一切の菌類やウイルス類を遮断した無菌室でしか生きられない患者になろうとしているのです。人類を襲った“エイズ”、今回の〝コロナ禍〟もその兆候だといえるでしょう。


こうした奇形ともいえる状態を脱して、ヒト本来の生き方をとり戻すには、なにはともあれ、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を、ふたたび活性化して、回復させることです。視覚によってほとんど支配されてしまっている日常生活のなかで、ちょっと立ち止まって、聴覚、嗅覚、味覚、触覚で自分の周囲を見なおしてみてください。


たとえば、近所を散歩するおりでも、風景や景物を目で追うだけではなく、手で触れてみたり、においをかいでみたり、ときには舌で味わってみてたしかめてみてください。花が咲いていたら、「キレイだな」で通りすぎるのではなく、鼻先を近づけてにおいを嗅いでみることです。そして、手先で触れてみることです。


可愛い子犬がいたら、腕にだきあげて、頬ずりしてみてください。そして、犬のにおいというものを嗅いでみるのです。街中におもしろい彫刻があったら、手で触れてみて、その感触をたしかめてください。ただ見るだけとは、またひと味違った鑑賞が得られるはずです。


あるいは公園のベンチにすわって、目をとじてみてください。目をとじて視覚を遮断すると、いままで気がつかなかった木の枝の揺れる音や、ほほをなでる風の感触、太陽の光のぬくもり、あるいは自分が着ているセーターの感触など、じつにさまざまな情報を私たちの体が受けていることに、あらためて驚くはずです。


モノを味わうのでも、たんに甘いとか、塩辛いといった、単純な味ばかりでなく、酸っぱいもの、苦いもの、渋いものを積極的に味わってみることです。グルメブームなどといいながら、現代人は味について、きわめて鈍感です。甘かったり、辛かったりと、口当たりのいいものはいくらでも味わうクセに、苦い、渋い、酸っぱいについては、かんたんにギブ・アップしてしまっています。そのため、現代人は、自然本来の果物や野菜のもつ、微妙な味わいがわからないのです。


いずれにせよ、大脳辺縁系の動物脳を活性化することは、私たち現代人にとっての急務だと思います。これまで、ずいぶん悲観的なことも述べてきましたが、都会生活でも、ちょっと足を止めれば、五感をフルに働かせて動物脳に刺激を与えることができるのです。それが脳を円熟させることにつながると同時に、五感を通じて、人類はこの地球環境のなかにわかちがたく溶け合ってこそ、はじめて生きていけるのだということも、身をもってわかってきます。


自然を排除するのではなく、自然との共生をはかる社会へと、個人だけでなく、社会全体も円熟してこそ、豊かで、多くの人が楽しく生きられる円熟社会を迎えられるでしょう。
 

大島清
医学博士