フランスでは高校卒業資格である「バカロレア」を通過すると、“決められた入学者数の範囲で”といった条件はあるものの、自分の希望する大学へ進むことができます。つまり、日本のように大学ごとにそれぞれの入学試験があるわけではないのです。また、基本的に塾もなく、「学校がすべて」という考え方もないといいます。今回は、日本在住のフランス人ジャーナリスト・西村カリン氏の著書『フランス人記者、日本の学校に驚く』(大和書房)から一部抜粋して、フランスと日本の教育制度や価値観の違いについてご紹介します。
失敗を恐れすぎている日本の子どもたち
2019年の時点で18歳に達したフランス国民の約80%がバカロレアを取得している。とはいえフランスは、学校がすべてという考え方はない。学校でつまずいても後でまたチャンスが来る、という考え方だ。
人生にはいろいろなことが起きる。もし突然、親が亡くなったら、学業に身が入らなくなるかもしれない。「学校で勉強したかったけれど事情によりできなかった」という場合でも人生のシャッターが下りることはない。
その点、日本の社会は概して二度目のチャンスがつかみにくいように見える。大学の新卒制度も同じで、乗り遅れると就職が難しくなる。だから基本的にみな失敗を恐れている。こうした圧力は子どもたちも感じているはずだ。失敗を恐れすぎると、むしろストレスがかかり、悪循環に陥ってしまう。「失敗したら人生終わり」と悲観して自殺してしまう子もいる。厳しすぎる社会は人を追いつめるのだ。
フランスでは「失敗するのは仕方ない、もう一度やり直せばいい」と、もっと気楽に構えている。たとえば中学卒業後、仕事をしていた人が「高校に行けばよかった」「大学に行けばよかった」と思ったら、後から軌道修正することも可能だ。
仕事をしながら学び、大学卒業と同等レベルの知識を身につけていると思ったら、卒業試験と同レベルの資格を後からとれる。たとえ大学に通わなくても、自分がここまで学んだと証明できれば、厳密にチェックされたうえで国からVAE(経験に基づいて得た知識を証明する手続き)という資格を与えられるのだ。
学歴より「何ができるか」を問われるフランス
わたしはフランスでジャーナリズムのマスター(修士)を受けてはいないが、15年間、AFP通信に勤め、ジャーナリズムのマスターをとった学生と同レベル、あるいはそれ以上のレベルになったと自負している。一時期、この資格をとることを検討したが、コロナ禍で手続きが難しくなり、とりやめることにした。
こうした資格システムがあると、もっと勉強しようというモチベーションになる。学校に行けなかった人でも後から修正できる道があると知れば、がんばれるのだ。特に移民の子どもは、中学や高校を卒業後、就職することも多い。でも本人が希望すれば、後から道を変更できる。こうした学歴偏重でない社会もフランスの美点だ。
より学歴重視の社会だったら、わたしは記者にならなかったはず。仕事では学歴よりも「あなたは何ができるのか」を問われる。
AFP通信に採用されたとき、フランス人の支局長は「記事を書けるか、書けないか」でわたしを判断した。3人が同じテーマで記事を書き―ほかの2人は大学でジャーナリズムを勉強していた―支局長はわたしを選んだ。即戦力を求められるのだ。
年齢や学歴は気にせず、実際に仕事ができるかできないかがすべて。ちゃんと仕事ができたら、若い人が上司になってもいい、という考え方だ。
大学では基本的な知識を学ぶが、学んだことと実際に仕事ができるかは別の話。もちろん職種にもよる。弁護士だったら大学で勉強したことがより重要になるけれど、同じくらいスピーチのうまさも重要だ。
西村カリン
ジャーナリスト