自分とか、ない。

悟った、ということは、「本当の自分」の答えが見つかったということである。

いったい、どんなものなのか?

その答えは

「無我(むが)」

だった。

自分とか、ない。

なかったんだってさ。

いやいや、ないって? ここにあるやん? どういうこと?

ひとつたとえ話をしよう。ぼくは家がゴミ屋敷なので、すぐモノがなくなる。

ある日、どうしてもサッカーの日本代表戦をみたくて、テレビのリモコンを部屋中探したのだが、見つからない。2時間探してもみつからず、試合が終わってしまった。悔しかった。

しかし、翌日気づいた。おれ、そもそもテレビ持ってなかった。

ホラーである。

仕事がきつくて頭がおかしくなってた。

探していたリモコンは、そもそも存在しなかった。

「ない」ものを探すことは、完全にムダで、おそろしい苦しみだった。

「自分」がない、のだとしたら、「自分探し」はそりゃ苦しいはずである。