横尾忠則氏が「隠居」を選択したワケ

画家に転向して30年が経とうとしている。そして一昨年古稀を迎え、老境に至った。そこで再びぼくはヘッセと出合うことになる。老境を生きるヘッセが残した人生最後の言葉の数々を著した何冊もの著述は今やニーチェ、キケロ、ゲーテらの著書と共にぼくの親しみの書として座右にある。

ヘッセは『シッダールタ』で彼の85年の人生を先に生きてしまった。あたかも『シッダールタ』をなぞるかのように生きた。あたかも前世で取り決められた約束を宿命であるかのように、敷かれた路線を走るように現世を生きたのではないだろうか。つまり『シッダールタ』が彼の生涯の設計図、あるいは楽譜であるかのように。ヘッセは「人は成熟するにつれて若くなる」と言う。老境こそが自我を滅私する絶好の機会だとでもいいたそうである。シッダールタが成したようにヘッセもその後を追う。

ぼくは一昨年『隠居宣言』(平凡社新書)なる本を出した。この本を書いた動機は小林秀雄が50代で自分を老人と認め、この年になって若者と同じようなものの考え方をして生きるのは老人になった値打ちがないじゃないか、というような言葉を講演で吐いているのを聴いてからと、その頃愛読していたヘッセの老人について語った様々な著書の影響で、ひとつ早いとこ老人になってやろうと思い立ち、そのためには隠居になるのが一番てっとり早く自由を得るための最短距離ではないかと思い、即刻頼まれ仕事のデザインを廃業することに決めた。

ぼくの経済基盤になっているこの仕事を止めることによって肩の重荷が取れたように思えた。従来は他者または外部の時間が主導権を握っていたのを隠居することによって自らが時間の主導者に変った。このことはぼくの生活と人生に大きな変革をもたらした、つまり自分が自分の主人公になることができたからだ。

こんなことならもっと早く隠居宣言をしておればよかったと述懐しきりである。残された時間で如何にヘッセの通った道をなぞることができるか、今後の楽しみのひとつにしたいものだ。考えてみれば随分長期にわたってヘッセという河の流れを流れてきたものだ。ヘッセと対話することは死者と語り合うことでもある。生者ヘッセよりも死者ヘッセの方がより濃密な交流ができるように思えてならない。

文藝春秋・編