幕末志士たちに『論語』が親しまれた理由

それほどに、論語が親しまれたのはなぜでしょうか。そのポイントは、論語の最大の魅力でもある、「学ぶことを中心として人生を作る」という考え方にあると思います。「学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや」(学而第一)の有名な語で始まるように、論語の核は一生学び続ける姿勢にありました。

孔子とその弟子たちは、「朝に道を聞きては、夕べに死すとも可なり(朝に正しく生きる道が聞けたら、その日の晩に死んでもかまわない)」(里仁第四)というほどの強い覚悟に溢れて、ひたすら学問を希求していたのです。こうした学びを軸にした人生のあり方が、かつての日本にはフィットしていました。

けれども、いつの間にか論語的世界観の地盤沈下が始まりました。とくに1980年代以降、学ぶことを軸にした生き方から、快楽、心地よさを中心にした人生のあり方へとシフトしはじめると、すっかり日本人は変わってしまいました。けれども、結局そこから新しい価値観が生まれることはなく、現在の日本は軸を失ったままの不安定な状態が続いています。

「子の曰く、君子は其の言の其の行に過ぐるを恥ず(君子は自分の言葉が実行以上になることを恥とする)」(憲問第十四)という言葉がありますが、今はできそうにもないことを軽々しく約束する人のなんと多いことでしょう。そもそも、政治家からして発言と行動が一致していないために国民の信頼を得られずにいるわけで、まさに「民は信なくんば立たず」(顔淵第十二)です。国が迷走するのも仕方のないことです。

論語は、決してとっつきにくい古典ではありません。2,500年も前の言葉であるのに、そこに書かれている内容は、このように現在の状況にもほぼ直接通用することばかりです。ここに孔子の説く「中庸」の深さがあるのかもしれません。

中庸というと、現在では「ほどほど」というような消極的な意味合いで語られることが多いのですが、「中庸の徳たるや、其れ至れるかな」(雍也第六)とあるように、本来の中庸が意味するところは非常に深いものです。

このくらいでいいか、といった曖昧なものではなく、ひとつひとつの状況をつぶさに観察して、これしかないという押さえどころを見つけ、瞬時に判断し、行動に出るというものです。言ってみれば、棋士が考えに考えた末に打つ一手のようなものではないでしょうか。人間が求められることの本質は、今も昔も変わりないのです。

さらに、論語の言葉に孔子自身の人生を重ね合わせてみると、より味わい深く読むことができるでしょう。孔子は50歳を過ぎて魯の国を出て、14年間、ひたすら職を求めて諸国を放浪し続けましたが、とうとうどこにも仕官することはできませんでした。つまり、ずっと無職のまま。孔子ほどの人物であっても活躍の場を得ることができずにいたのです。けれども、そんな不遇な生活の中にあってもつねに君子の道を求め続けました。

論語の言葉の多くがそうした孔子自身の憤りややるせなさの中から生まれたものであったことを考えると、現在の状況に不満や迷いのある人にとっても身につまされるのではないでしょうか。論語には、今、目の前にある自分自身の人生を素晴らしくするためのヒントが、数多くつまっているのです。



文藝春秋・編