4月から放送が開始された連続テレビ小説「虎に翼」。その主人公のモデルとなった「三淵嘉子」は、夫の病死後も教壇に立ち続けました。がむしゃらに働き続け、ようやく心の傷も癒されたかに思われましたが……本記事では、青山誠氏による著書『三淵嘉子 日本法曹界に女性活躍の道を拓いた「トラママ」』(KADOKAWA)から一部抜粋し、三淵嘉子を襲った「悲劇」についてご紹介します。
夫の死に続いて次々に〈悲劇〉が襲いかかるも…『虎に翼』寅子のモデル・三淵嘉子がそれでも「教壇」に立ち続けたワケ
嘉子を再び襲った「悲劇」
しかし、夫の死につづいて悲劇がまた彼女を襲う。治りかけた傷口に塩をこすりつけられたような気分だったろう。
昭和22年(1947)1月19日に母・ノブが亡くなった。何の予兆もなく突然に。母は老いても元気で、家事をよくこなし孫の世話をしながら過ごしていたのだが、庭先で洗濯物を干している時に突然倒れて、そのまま亡くなってしまったのである。脳溢血(のういっけつ)による突然死だったという。
嘉子が家の中で唯一敵かなわない相手が母だった。お転婆や無作法なことをやらかしてよく𠮟られた。しかし、口うるさいのは自分を心配してくれているから。小言を言いながらも親身になって色々と世話を焼いてくれる。そこには深い愛情も感じていた。
また、悲劇はこれだけでは終わらない。同年の10月28日には、ノブの後を追うようにして父・貞雄も亡くなってしまう。貞雄は酒が好きだった。ノブがいなくなってからは悲しみを酒で忘れようとしていたのか、酒量がかなり増えていた。その死因は肝硬変によるものだったという。
激情家の嘉子だけに、夫を亡くした時と同様に号泣したはず。だが、泣いてばかりはいられないことも悟っている。これからは父母に代わって、自分が家族の面倒を見ないといけない。ますます責任を感じるようになっていた。
そのためには兎(と)にも角にも、仕事をつづけることだ。しかし、仕事にやり甲斐(がい)を感じることができなければ、それを生涯にわたってつづけるのは無理。どこかで萎(な)えてしまうだろう。いまの教授の仕事はどうか、それだけで自分の仕事に対する欲求を満足させられるだろうか? そう考えるようにもなっていた。
学生たちと触れあう日々の中、法律を学び始めた頃のことを思いだす。法律の知識を使って人々の役に立つことをやってみたいと、かつて漠然と考えていたこと……。自分にはそれが向いているような気がする。それが天職なのかもしれない、と。
青山 誠
作家