嘉子を再び襲った「悲劇」

しかし、夫の死につづいて悲劇がまた彼女を襲う。治りかけた傷口に塩をこすりつけられたような気分だったろう。

昭和22年(1947)1月19日に母・ノブが亡くなった。何の予兆もなく突然に。母は老いても元気で、家事をよくこなし孫の世話をしながら過ごしていたのだが、庭先で洗濯物を干している時に突然倒れて、そのまま亡くなってしまったのである。脳溢血(のういっけつ)による突然死だったという。

嘉子が家の中で唯一敵かなわない相手が母だった。お転婆や無作法なことをやらかしてよく𠮟られた。しかし、口うるさいのは自分を心配してくれているから。小言を言いながらも親身になって色々と世話を焼いてくれる。そこには深い愛情も感じていた。

また、悲劇はこれだけでは終わらない。同年の10月28日には、ノブの後を追うようにして父・貞雄も亡くなってしまう。貞雄は酒が好きだった。ノブがいなくなってからは悲しみを酒で忘れようとしていたのか、酒量がかなり増えていた。その死因は肝硬変によるものだったという。

激情家の嘉子だけに、夫を亡くした時と同様に号泣したはず。だが、泣いてばかりはいられないことも悟っている。これからは父母に代わって、自分が家族の面倒を見ないといけない。ますます責任を感じるようになっていた。

そのためには兎(と)にも角にも、仕事をつづけることだ。しかし、仕事にやり甲斐(がい)を感じることができなければ、それを生涯にわたってつづけるのは無理。どこかで萎(な)えてしまうだろう。いまの教授の仕事はどうか、それだけで自分の仕事に対する欲求を満足させられるだろうか? そう考えるようにもなっていた。

学生たちと触れあう日々の中、法律を学び始めた頃のことを思いだす。法律の知識を使って人々の役に立つことをやってみたいと、かつて漠然と考えていたこと……。自分にはそれが向いているような気がする。それが天職なのかもしれない、と。

青山 誠

作家