坊主と呼ばないで

そんな家に生まれましたが、私の未来設計図に住職になる予定はなかったのです。と言いますのも、高校1年生から、大学1年生までの青春真っ盛りの時期、父親から当たり前のように、厳しい修行へ出されました。それはもう……令和のこの世では、社会問題になりそうな指導が続き、仏門への興味が薄らいでしまったのでしょうね。

そして、興味を持ちはじめたのが経営者としての道。その勉強をするためには、経営コンサルタントになろうと、1990年、大学4年生のときに「日本経営合理化協会」でアルバイトを始め、そのまま入社。当時、「経営の神様」と呼ばれた牟田學さんや、コンサルティング会社を一部上場の会社に押し上げた船井幸雄さんといった人物に心底憧れていました。自分も日本のトップに立ちたいと。

社会人になってからは、今でも師匠と呼んでいる牟田學さんの教えを仰ぎながら、コンサル業にまい進していました。22歳から32歳までの10年間、本当に仕事をすることが楽しかった。

コンサル会社とはいいましても、入社5年間で社員の方向性は大きく2つに分かれます。現場に出かけて経営指導をするか、事業繁栄・商売繁盛のお手伝いをするプロデューサーになるか。私は後者を選択しました。

当時はバブル全盛期。たくさんの経営者たちが集い、私たちがプロデュースした勉強会で学んでいました。東京の「パレスホテル」で年に2回、全国から800人の経営者を集めて講演会をすることも。

今も同様ですが、血気盛んに

「何としても儲けたい」

と野心を燃やす経営者たちが日本中にあふれていたのです。

ちょうどこの頃、冒頭で書いた先輩からの、私が寺の後継者になるチャンスがあることをうらやましがる発言がありました。

社員とはいっても終身雇用を望んで入社してくる人は少なく、皆将来、独立することを目指していました。会社には“二代目”と呼ばれる人たちも多く在籍、さらに現役のお金持ちを目の当たりにしていた先輩たちは、その多くが“目に見えない力”を必ず信じていたこと、それから仏教論が事業繁栄にもつながることを知っていたのです。

「坊さんは素敵な仕事だよ。経営することも、人を癒すこともできる」

「坊さんっていうのは、最高の人間コンサルタントだよな」

ああ、そういう見解もあったのかと、私の心に今までなかった光が差し込んでくる瞬間でした。