世界で初めてEVの本格的量産車を世に送り出したのは、日本でした。なかでも三菱の「アイミーブ」と日産の「リーフ」は新しい機能を多数搭載することで「新時代の車」となり、人気を博しました。この日本が生んだ量産型EVについて、自動車評論家の鈴木均氏の著書『自動車の世界史』より、詳しく見ていきましょう。
世界初の量産EV
2008年発売のテスラ・ロードスターを「量産できていない」とカウントするならば、世界で初めてEVの本格的量産車を世に送り出したのは、日本である。
三菱は2009年7月、軽の三菱iに64馬力のモーターとリチウムイオン電池を積んだアイミーブを発売した。三菱iは後席の下にエンジンを積むMR構造で、それ自体個性的な軽だったが、EV版のアイミーブはモーターとGSユアサと共同開発した電池を搭載し、日本やヨーロッパで家庭用電源で充電できる小型車として作られた。航続距離は空調不使用で130キロほどと、街中での使用を想定した。
アイミーブは2006年から電力各社と共同開発がはじまり、10年には欧州でプジョー・イオン、シトロエンC-ゼロの名前でOEM生産された。車体を軽から小型車枠に拡大した北米仕様は、米EPAの測定で航続距離100キロとされ、2012年に最もエネルギー効率が高い車に認定された。3・11震災の後、アイミーブは車載バッテリーから家庭電源向けに出力できる機能を足した。停電時に、EVが家庭電源になるのである。
アイミーブが発売された直後の2009年8月、日産リーフが発表された。本社を銀座から古巣の横浜に移すお披露目の際の目玉だった。リーフはモーターが109馬力を発生し、最高速度145キロ、航続距離は当初200キロほどだった。その後、マイナーチェンジの度に電池容量の拡大、車体の軽量化やシステムの改良を重ね、初代の後半には100キロ近くアシを伸ばした。
床面にびっしりとリチウムイオン電池が敷き詰められたリーフは、スポーツカー並みの低重心を誇った。雪道でリーフを走らせたプロのドライバーをして、「日産GT‐R並みの安定」と言わせる、新しい時代の車となった。2011年に米パイクス・ピークという、山の一本道を登る伝統のレースで、電動車部門優勝を果たした。リーフは2011年に欧州カー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、日産マーチ、トヨタ・ヤリス(初代ヴィッツ)、トヨタ・プリウスに次ぐ、日本車4台目の受賞車となった。
2012年から北米工場、2013年からイギリスと中国でも生産され、リーフは日産の顔となった。親会社ルノーは2012年、ちゃっかりリーフと似た性能のZOEを発売し、電池はリーフ同様の日産・NEC製ではなく、韓国LG製を採用した。欧州市場ではリーフを凌ぐ売り上げを確保し、愛嬌のあるデザイン、ロレアルとのコラボで車内空調に工夫を凝らすなど、独特の付加価値が与えられている。
リーフはEVの欠点である、暖房使用時の電費(ガソリン燃費の電気版)の大きな低下を防ぐため、特に工夫がなされた。ガソリン車はエンジン熱を車内暖房に使うため、冬だからといって燃費は大きく低下しないが、これがないEVは、電気を喰う熱線で暖房を回さなければならない。日産は人が暖かさを感じる要点をつぶさに研究し、リーフは冬の乗車直後、指先と足先を真っ先に効率的に温めて電池容量を節約するように設計された。
アイミーブとリーフが発売された後、日産と三菱の販売店をはじめ、カー用品店、コンビニの駐車場、道の駅、高速道路のサービスエリアにEV充電スポットが増殖するようになった。EV普及上の課題は今も、バッテリーのコスト高による車両価格の高止まりと、充電スポットの不足だ。交差点で止まる際に非接触自動充電できたり、走りながら無線で充電する技術も、将来的には実用化されよう。
鈴木 均
合同会社未来モビリT研究 代表