代表曲『残酷な天使のテーゼ』で知られる歌手の高橋洋子さん。「『残酷な天使のテーゼ』でヒットを飛ばした後に、芸能界から身を引いて介護の仕事をしていた」時期があったと言います。本稿では、川内 潤氏の著書『わたしたちの親不孝介護 「親孝行の呪い」から自由になろう』(日経BP)より一部を抜粋し、5年間プロとして介護の現場に身を置いた高橋さんと川内さんのインタビューを紹介します。
自分は上げ底の上に乗っていると思った
高橋:はい、とても幸運なデビューでしたね。でも、世の中的には「高橋洋子? 誰?」という感じじゃないですか。その後もスタッフの皆さんが頑張ってくださったんですけれど、目立つ実績は残せなくて、会社も社長がどんどん代わる。レーベルごと独立をする方に付いていくことにしたのですが、まだ新会社には何もないので、「だったら時間がある間に歌の勉強をやり直したい」と、ロサンゼルスに半年間行きました。
帰ってきたら浦島太郎状態で、仕事も何もない(笑)。そんなときに「アニメのエンディング曲を歌う人を探している」という話があり、『新世紀エヴァンゲリオン』に出会ったわけです。
編集Y:『FLY ME TO THE MOON』ですね。もともとはエンディングの歌だけ歌うことになっていたんですか。
高橋:そうです。「主題歌も歌えば?」と言われて『残酷な天使のテーゼ』を歌った感じです。そして『残酷な天使のテーゼ』も、放映当初からヒットしたわけではないんですよね。何度も再放送を繰り返していくうちに、番組の人気に合わせて広がっていった。
川内:そうでした、そうでした。
高橋:エヴァンゲリオンが大人気になり、主題歌も売れて、すごくいいことなのですが、そうなると「自分は上げ底の上に乗っている」という気持ちが強くなってきて。
編集Y:上げ底?
高橋:芸能界にいると、きれいに見えるようにプロの方にメイクしてもらって、いい歌に聞こえるようにエンジニアに手を掛けてもらうわけじゃないですか。
編集Y:それはまあ、そういうお仕事ですから。
高橋:そうですね。もし私が、道を歩いているだけで誰もが振り返るような有名人だったら、自分でも納得できたかもしれません。だけど、コンビニに行っても誰からも気付かれない私が、芸能人としての扱いをされることで、自分の実力以上の存在になってお給料がもらえている。だから「こんな状況にいたら、私は人としてダメになってしまう」という、すごい恐怖が襲ってきたんです。
川内:なるほど。
編集Y:えっ川内さん分かります? ダメになるものですかねえ。
(写真:大槻純一)