85歳までハツラツとしていた母は、生き方のお手本

新しもの好きで常に新しい環境に飛び込んでいく私の性格は、母ゆずりかもしれません。

母はモダンでとてもおしゃれな人で、身長162cmと当時の女性にしては背が高く、私から見ても美人でした。

行動力やチャレンジ精神も旺盛でした。まだ自家用車が一般的でなかった時代に、自動車の運転がしたくてしたくてたまらず、運転免許を取得。ですが、父のお給料では車は買えません。そこで母がどうしたかというと、「社長お抱えの運転手」の募集を見つけ、見事採用されたのです。

社用車の大きなクラウンを女性ドライバーが運転する姿は、当時かなりハイカラだったと思います。「交差点で車を停めると、みんなが振り返って見るのよ」と母が自慢していたのを思い出します。

母が71歳でカラオケの講師になったのも、びっくりするようないきさつでした。当時の私は40代半ば。私が結婚しないことを気にしていた母は、そのストレス解消のためか、友達とよくカラオケに行くようになりました。

そこで、もっとうまくなりたい!と思ったようで、偶然カラオケで一緒になった歌のうまい方に、「先生になって歌を教えてください」と頼み込んだのです。

その方は地元のデパートに主任として勤める男性でした。そのことを知った母は、「カラオケ教室を開いてください」とその男性の売り場に何度も何度もお願いに行きました。売り場では、「あのおばあちゃんまた来たよ」と有名になるくらいだったようです。その方はもともと趣味で歌っていたのですが、母のお願いがきっかけでカラオケ教室を始めることになり、今でもまだ活躍されているそうです。

そのうち、熱心に歌を練習した母自身も講師となり、近所の公民館などでカラオケ教室を開くまでになりました。

母が好きだったのは歌謡曲やシャンソン。発表会ではきれいな銀髪に貸し衣裳の華やかなドレスを着こなし、華がありました。71歳で自分の教室を始め、認知症を発症する85歳まで続けましたから、たいしたものだと思います。

残念ながら“美人”については遺伝しませんでしたが、母の行動力は、今も刺激になっています。