匂いのあるVR環境では“臨場感”が著しく向上
匂いは周囲の環境を理解するために重要な感覚の1つであり、例えばVRにキャンプファイヤーの匂いを加えることで、自宅にいながらキャンプ場にいるかのような感覚を味わうことも可能になります。
オーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)およびシドニー工科大学(UTS)のVR研究チームは、VR体験における匂いの効果について研究しています。とくに、ホラーゲーム『バイオハザード7 レジデント イービル』のプレーヤーが「匂い」を感じることで、臨場感にどのような影響があるのかを検証した実験は印象的です。
この研究で22人の参加者が装着したVRヘッドセットでは、鼻の下に設置されたチューブから匂いが放出されました。使用された匂いは、新鮮な草の匂いを再現する青葉アルコールと、腐敗臭を想起させる有機硫黄化合物です。
被験者は匂いのあるVR環境とない環境の両方でゲームをプレイし、その後、ゲームのリアリズムと没入感に関するアンケートに回答。さらに、心拍数や体温、皮膚の電気活動などの生理学的なデータも収集されました。
実験の結果、匂いを追加したVR環境は、匂いがない環境と比較して、参加者の空間的な臨場感を著しく高めることが明らかになりました。
多岐にわたる応用が期待される「VR×匂い」
英国のスタートアップScentientは「Escents」と呼ばれるデバイスを開発しています。
EscentsはVRヘッドセットとペアリングさせることで、特定の環境における特定の匂いを再現することができます。煙や天然ガスのような匂いを再現するために、濃縮合成香料のカートリッジが装備されています。
Scentientは、VRを使った救急隊員の訓練に焦点を当てており、とくに消防士や救急隊員などの緊急対応要員の訓練に役立つことが期待されています。VR環境で匂いを追加することにより、実際の災害状況をよりリアルに再現し、緊急対応要員が実際の現場で遭遇する可能性のある脅威や悪臭に慣れさせることができるのです。
同社は、英国政府の助成機関「Innovate UK」からの資金援助を受け、またCTOのノヴィコフ氏の母校であるユニバーシティ・カレッジ・ロンドンからも支援を得ています。彼らの目標は、デバイスの大量生産を可能にするために25万ポンド(約4,590万円)を集めることです。
このデバイスの潜在的な応用範囲は広く、VRを体験できる場所での利用や、嗅覚に影響を及ぼす疾患の診断支援のための活用が期待されています。
また、香港城市大学(City University of Hong Kong)生体医工学部のシン・ユウ准教授と北京航空航天大学のユアン・リー准教授による中国の研究チームは、VR環境に匂いを取り入れる新しいウェアラブルデバイスを開発しています。
このデバイスは、匂いが含まれたパラフィンワックスを使用し、熱源で加熱することで匂いを発生させ、冷却すると香りが止まります。
皮膚との間にシリコンのバリアを設けたこの安全なデバイスで、VRにおける匂いの再現が可能になります。既存のVRヘッドセットとの完全な統合にはまだまだ課題が残っているものの、このシステムは医療分野やエンターテインメントなど、多岐にわたる応用が期待されています。
現在、視覚と聴覚に重点を置いたバーチャルリアリティ(VR)体験が一般的ですが、今回みてきた通り、多くの企業や研究団体がVRに匂いを追加する技術の開発に取り組んでいます。
嗅覚や触覚を含む多感覚メタバースが実現すれば、現実とバーチャルの境界は曖昧になり、より没入感のある体験が可能になるかもしれません。
<著者>
齊藤 大将
株式会社シュタインズ代表取締役。
情報経営イノベーション専門職大学客員教授。
エストニアの国立大学タリン工科大学物理学修士修了。大学院では文学の数値解析の研究に従事。
現在はテクノロジー×教育の事業や研究開発を進める。個人制作で仮想空間に学校や美術館を創作。