2023年1月に米ニューヨークのアート集団「MSCHF」が制作を発表したのが、塩の粒よりも小さいトートバッグ。このトートバッグは、縦が657μm、横が700μm、幅が222μm(1μmは1,000分の1mm)という小ささで、仏ルイヴィトンの柄があしらわれています。バッグ自体は蛍光の緑色で、肉眼でもかろうじて確認できますが、その柄は顕微鏡を使わないと見ることはできません。このように、近年、 “ものを小さく作る技術”は劇的に進化し、さまざまな目的で活用されています。それは医療の世界でも変わりません。
「自由自在に体内を動き回って病気を治療!?」超極小技術で広がる、医療の新たな可能性 (※写真はイメージです/PIXTA)

がん治療に期待!日本で開発進む、ウイルスとほぼ同じ大きさの「スマートナノマシン」

国内のナノDDS分野をリードしているのが、「ナノ医療イノベーションセンター」(iCONM)、2015年、日本初の医療イノベーションをめざし、26の大学と企業、研究機関によって開設されたオープンイノベーション研究施設で、ここで開発を進められているのが「スマートナノマシン」です。

 

マシンと聞くと、何か工業機械的なものを思い浮かべる人が多いかもしれませんが、同社が開発を進めているのは、直径が50nmという極小の高分子でできたカプセル。そのカプセルに、さまざまな機能を搭載されたものをスマートナノマシンと呼び、50nmという大きさがウイルスとほぼ同程度であることから、血管の中を巡回するだけでなく体の組織内に入り込むことが可能です。

 

スマートマシンの活用で、特に期待されているのが、がん治療の分野です。抗がん剤は一般的に全身に広がることからがん以外の細胞にも悪い影響を与え強い副作用をもたらしますが、スマートナノマシンに抗がん剤を搭載して体内に投与することで、がん細胞だけに抗がん剤を作用させるようにすることができ、より高い治療効果と副作用の軽減が図れると考えられています。このようなスマートナノマシンによるDDSのいくつかは臨床試験まで行われており、膵臓がんと乳がんに関しては最終段階まで進んでいます。うまくいけば実用化も遠い話ではないでしょう。

 

スマートナノマシンを用いたDDSは、がん以外の病気の治療にも大きな期待がかけられています。たとえば、薬で治療するのが難しいとされるアルツハイマー病や脳腫瘍などの脳疾患です。脳につながる血管には、脳の活動に必要な酸素やブドウ糖などの物質だけを通し、病原体や有害な物質は通さない血液脳関門と呼ばれるバリアがあります。これまでにもアルツハイマー病の根本的な治療をめざし、脳に直接作用する薬の開発が試みられましたが、このバリアを通り抜けて脳まで達する薬の量が非常に少なく、断念を余儀なくされてきました。

 

その点、スマートナノマシンは血液脳関門を通過できるように設計することが可能で、実際に動物実験では、従来の方法より60倍もの量の薬物が脳内に届いたそうです。この技術で脳に薬や抗体などを送り込むことで、アルツハイマー病やそのほかの神経疾患の治療への応用が可能になることが期待されています。さらにスマートナノマシンを用いたDDSは薬剤を届けたい部位に応じて設計することで、変形性関節症の治療だったり、がんや感染症のワクチンを作ったりと、あらゆる病気の治療や予防に応用できる可能性があります。

スマートナノマシンでめざす体内病院

ここまでは、主にスマートナノマシンの技術を用いたDDSの話をしましたが、ナノ医療イノベーションセンターのすごいところは、その先にスマートナノマシンを活用した「体内病院」の実現をめざしていることです。体内病院とは、スマートナノマシンが体内を自律的に巡回して、病気の早期発見や診断、治療までを行うというもの。それによって人が自律的に健康になり、病気を気にしなくてよいスマートライフケア社会をつくっていきたいと考えているといいます。

 

それを実現するには、ここまでに述べたスマートナノマシンによるDDSの実用化が必要なほか、体内病院ではスマートナノマシンが常に体内を巡回していなければならないことから、薬を患部に届けたらそれで終わりではなく、スマートナノマシンを再利用できるようにする必要もあります。

 

スマートナノマシンの完成目標は、2045年に設定されています。そして、その先にスマートナノマシンによる体内病院が本当に実現すれば、常にスマートナノマシンが自律的に体内を巡回、病気があれば本人が気づかないうちに治療を行ってくれる……つまり、人間が病気や治療から解放され、常に健康でいる社会が実現するかもしれません。

 

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関根 昭彦

医療ライター 大手医薬品メーカーでの医療機器エンジニアや医薬品MRなどを経て、フリーランスに。得意分野は医療関係全般。