プレテストで数学0点、部活との両立…現役で医学部推薦合格を支えた、親とメディカルラボとの連携

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医系専門予備校 メディカルラボ
メディカルラボ
プレテストで数学0点、部活との両立…現役で医学部推薦合格を支えた、親とメディカルラボとの連携
(※写真はイメージです/PIXTA)

医学部受験というと、学力や勉強量に目が向きがちだが、実際には家庭での関わり方や、周囲の支えが大きく影響する場面も少なくない。福岡大学医学部(地域枠)の推薦入試で現役合格を勝ち取った山瀧凌大さんも、部活動との両立や成績の伸び悩み、親子間のコミュニケーションに悩みながら受験と向き合ってきた一人だ。そうした中で、どのように家庭で支え合い、メディカルラボが生徒と保護者にどのようなサポートを行ってきたのかについて、凌大さんと保護者の山瀧千春さん、担任の藤川先生にお話を聞いた。

「医師以外の職に就いている自分が想像できない」医学部を目指したワケ

凌大さんの家庭では、父親が医師ということもあり、医師という進路は身近なものとして捉えられてきた。そうした環境の中で、凌大さん自身も自然と医師という職業を意識するようになっていったという。

 

「医師の父をずっと誇りに思っていました。父は精神科医で、他人の人生を絶対に否定しない人です。そういう姿を見てきたからこそ、医学部を目指して勉強するのが自然で、医師以外の職に就いている自分があまり想像できませんでした」(凌大さん)

ぶつかり合うこともあった親子の関係

受験に向き合うなかで、親子のコミュニケーションで悩みもあった。

 

「やっぱり思春期なので、なかなか話したがらない時期もあって。聞いても『知らない』とそっぽを向かれることも多くて……」と千春さんは話す。

 

「自分はやっているつもり。でも、千春さんは『もっとやらないと』となっていて、お互いの気持ちのズレでぶつかることはありました」と凌大さんも明かす。

 

その関係について、担任の藤川先生はこう見ていた。

 

「凌大さんはすごく前向きで、自分の中でしっかり軸を持っているタイプでした。一方で、お母様は現実的に状況を見られる部分もあり、お二人それぞれの思いがぶつかる場面もありました。そうしたなかでも、親子でしっかりコミュニケーションを取りながら、受験に臨めたことが、結果的に良い形につながったのではないかと思います」

 

メディカルラボに通い始めたワケ

メディカルラボに通い始めたのは高校2年の夏だったという。

 

「いくつか塾を経験したものの、“なんとなく”通わせているだけのように感じ、医学部を目指すなら医系専門予備校のほうが良いかと思いました。予備校を探すなかで、メディカルラボは電話対応の時点でスタッフの方の印象がよく、駅からも直結という立地で、『ここなら通わせたい』と思いました」と千春さんは振り返る。

 

一方、凌大さんにとっても納得できる理由があった。

 

「私はバスケットボール部に所属していたので、部活に合わせながら授業のスケジュールを組める点に惹かれて入校しました。他にも、医学部合格実績や情報量の多さも決め手になりました」

 

入校後、凌大さんは学習面だけでなく、精神面でも大きな支えを得ることになる。

 

「入校後は、勉強面はもちろん、精神面でもサポートしていただいて、医学部受験としっかり向き合うことができました」

 

実際に変化を感じたのは、学習環境だけではなかった。ラボでは毎月、生徒面談が設けられている。

 

「面談シートに今の状況や不安に思っていることを書いて、先生と1対1で話すんです。親には言いづらいことでも、そこでは全部話せました」と凌大さん。

 

千春さんも、その変化を感じていた。

 

「メディカルラボでは、自分の悩みや困ったことを話していたようで、私は藤川先生から状況を教えてもらっていました。本人に直接聞いても答えないことも多かったですが、担任の先生が親との間に入っていただいたことで、変にプレッシャーをかけずに済んだと思います。そのような環境があったからこそ、本人は自分のペースで勉強に集中できていたのではないかと感じています」

 

藤川先生も「お母様は本当に熱心で、こまめにご相談もいただいていました。だからこそ、こちらもできる限り凌大さんの状況を共有して、不安を少しでも和らげられるように意識していました」と振り返った。

 

さらに、日々通う環境そのものも大きな支えになっていたという。

 

「メディカルラボに来たときには必ず受付に先生やスタッフさんがいて、帰るときにも『お疲れさま』と声をかけてもらっていました。フランクに勉強以外の話もできて、ずっと勉強漬けにならないような環境でした。少し話すだけでも気持ちをリフレッシュできて、また次の日も頑張ろうと思えたんです」

 

学校でも家庭でもない、もう一つの居場所のような存在だったと凌大さんは話す。

プレテストで「数学0点」でも折れなかったワケ

部活と両立しながら軌道に乗ったかに見えた凌大さんの受験生活だが、受験直前には大きな出来事もあった。推薦入試の2ヶ月前に受けた福岡大学学校推薦型選抜のプレテストで数学が0点だった。

 

それでも凌大さんは前を向き続けた。

 

「夏休み中は9時から22時までメディカルラボでずっと勉強をやってきたので、『自分はここまで努力している』という自信がありました。だから絶対本番はうまくいくと思っていました。自分はめちゃくちゃポジティブなんです。壁って、乗り越えられる人にしかこないと思っていて。『壁や試練に向き合っていない自分が一番嫌だ』という気持ちが自分のなかにありました」

 

その姿勢について、藤川先生はこう語る。

 

「0点ではあったのですが、答案を見ると『何もできていない0点』ではなかったんです。どこを直せば点数につながるかがはっきり見えていたので、出題傾向を踏まえながら、どの部分で確実に点数を積み上げていくかを整理し、対策を進めていきました。その結果、短期間でも軌道修正することができたのだと思います」

推薦選抜という選択、保護者の役割は?

もともとは国公立大学を志望していた凌大さんだったが、受験の方向性は途中で見直されることになる。きっかけは、メディカルラボからの提案だった。

 

「国語がどうしてもネックで、なかなか得点を安定させるのが難しかったんです。そこで先生から『英語と数学で勝負できる推薦選抜を目指してみてはどうか』とご提案いただきました」と千春さんは振り返る。

 

その言葉をきっかけに、志望は私立医学部へとシフト。福岡大学の推薦選抜を第一目標に据え、対策に集中していくことになった。

 

「推薦選抜は狭き門なので、正直なところ親としては『チャレンジの一つ』という気持ちもありました。ただ本人は、そこに絞ってやるという覚悟を持っていたので、その思いも尊重しました」

 

この決断を境に、千春さんの関わり方にも変化が生まれる。

 

「最初は成績に一喜一憂していましたが、高3になってからは足りないところは『本人が一番分かっている』と思うようになって。追い打ちをかけるようなことを言わないようにしました」

 

また、推薦選抜に集中できる環境を整えるため、役割分担も明確にした。

 

「本人には余計な不安を持たせたくなかったので、推薦選抜の情報収集はメディカルラボさんと協力しながら親が担当しました。そのなかで、藤川先生と対等に話ができないと受験校の選定もできないと思っていたので、メディカルラボさんが主催している進学相談会や説明会に足を運び、大学ごとの担当者と直接話して情報を集めたうえで、先生とも相談できるようにしていました。

 

その姿勢に対し、藤川先生もこう応える。

 

「それだけ熱量を持って凌大さんや医学部受験に向き合っていただいていたので、こちらも同じだけの熱量で応えないといけないと思っていました。お母様からご相談いただいた内容については、その都度必要な情報を整理し、正確にお伝えするようにしていました。受験に関する判断に迷われる場面でも、状況に応じた情報提供ができるよう意識していました」

支えられた経験を、次につなげる

こうして迎えた本番。定員10名という狭き門を突破し、凌大さんは合格をつかみ取った。

 

「予備校で勉強できる環境は当たり前じゃないと思っていますし、医学部受験は自分一人の力だけでできるものではないと感じていました。両親や家族など、周りの支えがあったから成り立っているものだと思うからこそ、自分にできることは努力を続けて、合格という形で結果を出すことだと考えていました。それが一番の恩返しだと思っています」(凌大さん)

 

また、メディカルラボの学習環境についても、あらためてその価値を実感しているという。

 

「日々のチェックテストやデイリーテストなどをしっかり管理してもらえる予備校は多くないと思います。そういう環境が整っていたからこそ、自分の状況を把握しながら勉強を進めることができました」(同)

 

受験を通して見えてきたのは、それぞれの役割を持ちながら支え合うことの大切さだった。

 

「医学部受験は、家族一丸で挑まないと乗り越えられないと思います」と千春さんは語る。

 

「母親だけが頑張ってもダメですし、父親だけでもダメだと思っています。夫婦でしっかり話し合って、考えを共有しておくことは大事にしていました」

 

藤川先生もこう締めくくる。

 

「凌大さんは前向きさという大きな強みがありましたし、それをお母様がしっかり支えていらっしゃいました。その両方があってこその結果だったと思います」

 

その思いは、すでに次の目標へとつながっている。

 

高校時代、部活動の中でケガによるリハビリを経験し、多くの人に支えられたこともあり、将来は整形外科医を志しているという。

 

「自分が支えてもらった分、今度は支える側に回りたいと思っています」