“バブル期の鎌倉”を知る男性の証言

鎌倉は、かつて日本有数の「金持ちの町」だった。

1980年代から90年代にかけて、市区町村別所得ランキングでは常に全国トップ10圏内。東京都心や大阪市と肩を並べ、神奈川県内でも突出した存在とされていた。

小町通り近くで長年商売を続けてきた60代男性は、当時をこう語る。

「夕方になるとね、店の前にベンツやクラウン、シーマにソアラと、ずらーっと高級車が並んだんだよ。あの頃は常連さんが集まると、ウチがまるで“高級車の展示場”みたいだった」

しかし2024年、鎌倉市の順位は全国21位。平均所得は約546万円(ZEIMO「2024年(令和6年)市区町村別 所得(年収)ランキング」より)と依然として高水準だが、「常にトップ10」というポジションからは一段落ち着いた。

この変化は、鎌倉の魅力が失われたことを意味するのだろうか。実態は、もう少し構造的だ。

“エリートたち”を引き寄せた「鎌倉ブランド」という無形資産

かつての鎌倉の強さは、「稼げる産業」があったからではない。

歴史、寺社、海と山、文化資本。これらが一体となった「鎌倉ブランド」そのものが、富を呼び込んでいた。

高度成長期からバブル期にかけて、鎌倉は都心で高給を得る大企業の管理職や専門職など、いわゆる“エリート”が、住む場所として選ぶ町だった。所得の源泉は、あくまで都心の企業にあり、鎌倉は「高所得者の居住地」として機能していたのである。

このモデルは極めて強力だった。しかし、「町のなかに“稼ぐ装置”を内包していない」という弱点も同時に抱えていた。

どちらも富裕層に人気だが…「鎌倉」と「軽井沢」の決定的な違い

鎌倉の順位変動を理解するうえで、軽井沢と対比してみると構造的な問題が浮き彫りになるだろう。

両者はともに「ブランド力の高い町」「富裕層に人気の居住地」という共通点を持つが、富を生み出す構造は大きく異なっている。

鎌倉が強かった時代、そのモデルは明快だった。都心で高給を得る給与所得者が定住し、町の平均所得を押し上げる。つまり、所得の源泉は町の外にあり、鎌倉は「居住地」として機能していた。

一方、近年順位を上げてきた軽井沢は異なる。リモートワーク、ワーケーション、二拠点生活を前提に、「町のなかで仕事をし、町のなかで所得を生む」設計が進んだのだ。