かつては日本有数の「お金持ちの町」だった神奈川県鎌倉市。高度成長期からバブル期にかけて、大企業に勤めるエリートたちが“鎌倉ブランド”に群がって居住地に選んでいました。しかし現在、“あの頃の鎌倉”は影を潜めているようです。経営コンサルタントの鈴木健二郎氏が、住民の声を交えながら「鎌倉のいま」を解説します。
店の前にはベンツやクラウン、ソアラが並んで“高級車の展示場”みたいだった…鎌倉在住の60代男性が「あの頃は」と懐かしむ神奈川県・鎌倉市の現在【取材】
鎌倉が「軽井沢の成功事例」をマネできない理由
象徴的なのは、不動産や観光の変化だ。軽井沢では単なる別荘利用にとどまらず、IT企業のサテライトオフィスや経営者の長期滞在、スタートアップ関係者の実質的な“生活拠点化”が進んでいる。
対して鎌倉は、文化財保護や景観規制が厳しく、オフィス用途や事業拠点を受け入れる余地が限られてきた。結果として、関係人口は増えても、所得を生む滞在は限定的になりやすい。
つまり両者の差は、「ブランドの強さ」ではなく、ブランドを、どこまで“稼ぐ仕組み”に転換できたかという点にあるのだ。
無形資産が“強すぎる”鎌倉
鎌倉の難しさは、無形資産があまりに強い点にある。歴史と文化は守るべきものであり、同時に、それが新たな経済活動の制約にもなる。
地元住民の一人は、最近の町の変化をこう話す。
「今もポルシェやレンジローバーのようなおしゃれな高級車が走ってる。でも、昔とは違って住んでる人じゃない。週末だけ来る人、仕事で行き来する人が多いね」
関係人口は増えている。しかし、それが「町の平均所得」を押し上げる構造には、まだ完全にはつながっていない。文化都市としての価値と、所得を生む経済モデルの間に、微妙なズレが生じている。
文化資本は「守る」だけでは足りない
鎌倉が示しているのは、成熟したブランド都市が直面する普遍的な問いだ。歴史や文化、景観といった無形資産は、それ自体では所得を生まない。どう更新し、どう現代の稼ぎ方と接続するかが問われている。
鎌倉はいまも、日本有数の豊かな町である。だが、もし再び「稼げる町」として浮上するなら、文化資本を“保存する対象”から、“活用する経営資源”へと位置づけ直す必要がある。
この課題は、鎌倉だけのものではない。成熟した観光地、歴史都市、ブランド地域を抱える多くの自治体にとって、次の時代の繁栄を左右する共通のテーマといえるだろう。
鈴木 健二郎
株式会社テックコンシリエ 代表取締役
知財ビジネスプロデューサー
![[図表]鎌倉市と軽井沢の富の構造の対比 著者作成](https://ggo.ismcdn.jp/mwimgs/6/9/540mw/img_6967657705dc6bc8dab4792027293dd882961.jpg)