年商1億5,000万円からの転落…都内タワマン暮らしから“週7バイトのアパート暮らし”に堕ちた30代・元開業医の後悔【医師が暴露】

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年商1億5,000万円からの転落…都内タワマン暮らしから“週7バイトのアパート暮らし”に堕ちた30代・元開業医の後悔【医師が暴露】
(※画像はイメージです/PIXTA)

近年、勤務医の過酷な環境から逃れるため、安易な理由から開業に至る医師が少なくないと、現役開業医のT氏は警鐘を鳴らします。今回、開業に失敗したとある若手医師の事例から、安易なクリニック開業に潜む「深刻なリスク」をみていきましょう。

専門医資格なし・キャリアわずか6年で開業を決意

まさか、こんなことになるとは……

 

そう語るのは、現在30代のとある小児科医A氏だ。彼は東京品川区のタワーマンション暮らしの開業医だった。現在は郊外の狭いアパートに住み、週7日のアルバイトで生計を立てている。

 

華やかな生活を送っていたA氏が、なぜこれほどの転落を経験することになったのか。その背景には、未熟なキャリアプランのまま開業に踏み切った彼の、甘い経営戦略と厳しい現実、そして浮かれた心理があった。

 

A氏はもともと、大学病院で勤務医として働いていた。4年目に医局人事で地方医療機関に移ったが、連日の当直・オンコール勤務を嫌がり、自由を求めてキャリアわずか6年での開業を決意する。

 

専門は小児科であるが、日本小児科学会専門医資格はもちろん、他の資格・スキルも有していない。しかし、彼は神奈川県のベッドタウンに目をつけ、競合が少ない駅前地区に念願のクリニックをオープンさせた。

 

開業に際しては、胸部レントゲン装置やエコーなど最新の医療機器や内装にこだわり、総額8,000万円もの資金を投じたという。

 

A氏は「このエリアは今後小児患者の増加が見込めるし、問題なく回収できるだろう」と楽観視していた。

ピークは年商1億5,000万円…成功に酔いしれた日々

開業当初、経営は順調だった。A氏の読みどおり、周辺に小児科クリニックが少なかったこともあり、近隣住民からの支持を集め、患者数はうなぎ上りに増加。ピーク時は来院患者数が1日平均100名を超え、年間の売上高は1億5,000万円を記録。利益は投資額を差し引いてもかなりの額で、彼はまさに「飛ぶ鳥を落とす勢い」だった。

 

この成功に酔いしれたA氏は、さらに利益をあげようとさまざまな試みを始めた。

 

患者との距離を縮め、地域に根差したクリニックを目指すという名目のもと、クリニックの敷地内でクリスマスイベントを開催したり、夏には夜空の天体観測イベントを企画したりしたという。

 

「患者さんや保護者の笑顔を見ると、本当に嬉しかったんです。イベントがきっかけで、遠方から来てくれる患者さんも増えましたから。それに、話題になることで、うちのクリニックの評判もさらに高まると思っていました」

 

当時を振り返るA氏の表情には、微かながら達成感が滲む。

 

一方、A氏自身の生活も派手になっていった。タワマンでは、毎週のようにホームパーティーを開き、海外の高級ワインを傾け、ときに有名シェフを招いては豪華な食事を楽しんだ。

 

また長期休暇の折には代診医を手配して海外旅行にも出かけ、高級ブランド品を惜しみなく買い漁った。

 

稼いだ分は使う」という考えが、いつの間にか彼の行動原理になっていた。「通勤で使用する」という口実で、約3,000万円の高級車を購入。それ以外にも、せっかくの収入は趣味や会食に消えた。

競合クリニックが続々開業…急転直下、暗転した経営

しかし、その成功は長くは続かなかった。A氏のクリニックの成功に触発されたかのように、周辺地域に次々と競合の小児科クリニックが開業し始めたのだ。

 

新しく開業したライバルのクリニックは、最新の医療情報やサービスを前面に出し、またA氏とは対照的にキャリアプランや専門医資格があることを武器に患者を囲い込んだ。

 

そして、ここでA氏自身の診療経験の乏しさも露呈し始める。利益を求め多忙を極めるなか、一人ひとりの患者と向き合う時間が十分に取れず、不満を感じる保護者も増えていった。

 

不満を感じる保護者が増えれば、当然口コミサイトも荒れる。院長の診療内容や態度を疑問視する口コミが溢れ、新規患者減少につながった。

 

「あのころは、とにかく患者数を増やすことばかり考えていました。質の高い医療を提供することよりも、いかに効率よく回すかばかり……。イベントも、集客のための手段としか考えていなかった部分があったかもしれません」

 

A氏は後悔をにじませる。

追い打ちをかけた「病児保育事業」の失敗

さらに追い打ちをかけたのが、彼が新たな収益源として見込んでいた「病児保育事業」の失敗だった。

 

地域ニーズがあると考え、多額の資金を投じて立ち上げたものの、運営ノウハウの不足人件費の高騰、利用者の定着率の低さから、事業は思うように伸びなかった。

 

イベント開催費用もかさみ、それに反比例して売り上げは激減。気がつけば、開院から2年で売り上げは半額となり、赤字に転落していった。

 

しかし、一度上げてしまった生活レベルはなかなか下げられない。クレジットカードの請求額は膨れ上がり、ついには運転資金すら捻出できなくなってしまう。

残された「後悔」と「借金」

売上の激減と病児保育事業の失敗、そして無計画な散財が重なり、クリニックはあっという間に赤字に転落した。追加融資を受けたものの、A氏のクリニックはわずか5年で閉院を余儀なくされたのだ。残されたのは多額の借金と、過去の自分に対する後悔だった。

 

閉院後、彼は生活のため週7日のアルバイト生活を余儀なくされた。またアルバイトも、キャリアが不十分なため小児科医としては雇用されず、自由診療や汎用性の高いスポットでの健診のみ。給与は1日6~8万円程度であった。

 

かつての華やかなタワマン暮らしは過去のものとなり、妻からは離婚を切り出され、タワマンも売却。現在は、都心から離れた場所でアパート暮らしをしている。

 

「医師としてのプライドもへし折られ、すべてを失ってしまったような気がします。もっとしっかり経営を学ぶべきでした。患者さん一人ひとりに寄り添う気持ちを忘れてはいけなかった……。そして、なにより、調子に乗って散財してしまった自分を責めています。あのとき、もっと堅実に経営していれば……しっかりとキャリアと経験を積んでいれば……」

 

彼の言葉からは、深い後悔と、医師としての初心を忘れてしまったことへの自責の念、そして自分自身の甘さへの痛烈な反省がひしひしと伝わってきた。

 

今回紹介したA氏の事例は、キャリアプランがない安易な開業がもたらす悲劇と、医師としての本質を見失ってしまったことの代償を浮き彫りにしている。

 

仮に開業が軌道に乗っても、成功に酔いしれることなく、常に冷静な判断と堅実な経営を心がけること。それが、地域住民から選ばれ続けるクリニックの最低条件だろう。

 

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