兄は庭付き一戸建てで悠々自適、弟は55歳でも奨学金返済の「まったく違う人生」

中村智也さん(仮名・55歳)には、6歳年上の兄がいます。兄は都内の私立大学を卒業し、バブル景気真っただ中の1987年に大手メーカーへ就職。30代前半で千葉県内のニュータウンに庭付きの一戸建てを購入し、現在は住宅ローンも完済。夫婦で穏やかな日々を送っています。

「兄貴は"ローンももう終わったよ"と笑うんです。週末には庭でバーベキューを楽しんで、年に2回は夫婦で海外旅行。同じ家庭で育ったのに、6歳の差でこんなに人生が違うのかと、正直ショックでした」と中村さんはいいます。

一方の中村さんが都内の私立大学を卒業したのは1993年。バブル崩壊後の"就職氷河期"のど真ん中でした。「これからは介護の時代だ」という父の勧めで介護関連の中小企業に就職しましたが、実態は家族経営のブラック企業でした。

「入社早々、現場で働く母親と同年代の職員に"あんた、こんなところ早く辞めた方がいいよ"と忠告されました」と苦笑します。結局3年で退職し、その後は、派遣や契約社員として働きながら生活をつなぐ日々。

「当時の派遣は厚生年金に入れない会社も多く、国民年金の保険料すら払えない時期もありました。兄貴が"ボーナスで車を買い替えた"と聞くたび、同じ兄弟なのに……とやるせなくなりました」

30代半ば、介護現場の限界を感じた中村さんは「資格を取れば道が開けるかもしれない」と、社会人向けの通信制大学院に進学を決意しました。当時はようやく通信制大学院が広がり始めた頃、そして、このときに借りたのが、有利子の奨学金でした。

「働きながら学ぶのは本当に大変でした。でも、それしか道がないと思っていた。修士号を取れば正社員への道が開けると信じていたんです」

しかし現実は厳しく、修士号を取得しても給料は変わらず、転職もうまくいきませんでした。正社員に戻れたのは40代半ば。育ち盛りの子どもを抱え、住宅ローンと教育費が重なり、奨学金は後回しにせざるを得ませんでした。

その結果、返済が滞り、何度も返還猶予を申請。55歳になった今も残高は約250万円。月々の返済額は2万円弱ですが、「この年齢で、まだ20年近く返し続けるのか」と思うと気が遠くなるといいます。完済のめどは立っていません。