バブル時代一世を風靡したキャッチコピー、「24時間戦えますか?」からもわかるように昭和世代のサラリーマンの“タフさ”は特徴的です。今回はそんなビジネスシーンの苛烈さを物語る昭和の表現を2つみてみましょう。本連載では、栗山圭介氏の著書『昭和が愛した言葉たち』(有隣堂)より、死語になってしまった昭和の言葉が持つ愛とユーモアをご紹介します。
夫の「グロッキー」を聞き流し、妻「で、出世はまだ?」…家庭にまで響いた、昭和の“疲労アピール”の虚しさ
グロッキー
へとへとに疲れ切った状態。
解説
由来は英語の「groggy」で、足元がふらつく、ふらふらする、机の足などがぐらぐらするという意味。ボクシング中継で、実況が相手の打撃によりふらふらになった選手を「グロッキー」と叫んだことで全国区となる。
以降、疲れたふりのサラリーマンは、同僚に一生懸命働いている感じをアピールするために多用するようになった。「朝から得意先回りでグロッキーだよ」「グロッキーで昼めし食う気力もねえよ」「こんな時間になっても会社に缶詰めでグロッキーだよ」。会社では朝から「グロッキー」の乱打戦。そういう人に限って詰めが甘く、ポカをしたりすっとんきょうな間違いを犯すことが多く、同僚から「グロッキー」発言をするたびに正の字を書かれる。
帰宅すれば、家族に「やれやれ、今日もグロッキーだよ」と、家族のために全力で働いた感をアピールしてからの「めしっ!」。妻は「そんなにへとへとになるまで働いてるのに、なんで出世しないのよ」と心の中で愚痴りながら、「はいはい」とつくり笑顔で応える。「はい」を2回言うときは、よほどルンルンしているときか、適当に聞き流しているときで、この場合、夫の出世に見切りをつけ、子どもたちの父親への尊厳が薄れてきた雰囲気が漂っている。
兄弟語「バタンキュー」との併用で、ワンランク上のヘロヘロ感を出すこともできるが、やがて「グロッキー」を多用する人=仕事ができない人という解釈となり、「グロッキー」は時代の闇へと消えていった。
具体的な用法例
A男「課長、今日も一日お疲れ様でした」
課長「いやぁグロッキーだよ。お前もだろう?」
A男「いえ、僕はまだ仕事がありますので」
課長「俺が音を上げたとでも言いたいのか?」
A男「いえ、仕事が間に合わないので弱音だけは吐かないようにしているだけです」
課長「だから、俺が弱音を吐いたとでも言いたいのか?」
A男「失言でした。申し訳ございません」
課長「まぁいい。お前も強がらずに本音を吐いていいんだぞ。じゃ、私はお先に失礼する」
A男「明日提出する企画書の直しを見ていただきたいのですが?」
課長「明日明日っ。これ以上働いたらモアグロッキーだよ」
A男「課長、本音吐いていいですか?」
課長「おぉ吐け吐け、吐いてラクになれ」
A男「そんなあんたにグロッキーなんだよ!」
※モア=よりもっと。1970年代に映画評論家の小森和子が映画を紹介したあとに「モアベターよ」と言ったことで、さまざまな言葉の前につけられた。(例)モアデリシャス、モアセクシー、モアハッピーなど。
ひとくちメモ
groggyの正確な発音は「グロッギー」で、「グロッキー」は日本特有のカタカナ英語。bedを「ベット」、bagを「バック」と濁らずに発音してしまうシステムと同じである。
現代の言い換え
へろへろ。