近年若者の口から「老害」という言葉を頻繁に聞きます。世間の価値観との乖離に気づかない年長者を指す言葉ですが、「老害」のように若者が大人を憂う文化は昭和にも存在しました。昭和の若者は誰のことをなんと呼んでいたのでしょう。本連載では、栗山圭介氏の著書『昭和が愛した言葉たち』(有隣堂)より、死語になってしまった昭和の言葉が持つ愛とユーモアをご紹介します。
「お客様を泥棒扱いするの!?」…試食を食い尽くし、値札を替える、昭和に蔓延った〈オバタリアン〉の実態
オバタリアン
図々しいおばさんのこと。
解説
昭和61年(1986)に公開された米ホラー映画『バタリアン』をもじり、堀田かつひこが、厚かましく図々しいおばさんの生き方を描いた4コマ漫画のタイトル。昭和63年(1988)から単行本が発売され、わきまえることゼロ、損得に執着し羞恥心のない厚顔無恥なおばさんたちのあるあるストーリーはたちまち話題となり、我が国は「日本オバタリアン列島」と化した。
それまでの、慎ましく礼儀をわきまえた大和撫子的生き方などどこ吹く風、女性はある一定の年齢に達すると「オバタリアン」に変身し、逞しくなっていくことを知らしめた名作だ。
食品売り場の試食コーナーで「ご自由にお食べください」の貼り紙を見つければ、腹がふくれるまで食べ続け、「ご自由にお持ちください」とあれば、買い物袋に入るだけ詰め込み、「おひとりさまにつきおひとつ」とあれば、何度も並び直してひとつだけもらった芝居をする。一部始終を見ていた店員から「おひとつだけですから」と釘を刺されれば、「ここのスーパーは客を泥棒扱いするの?」と大声で言いふらす。確信犯的な行動に目をつむるしかない店員は、店長から注意されて減給処分。おわびのビール券を受け取った「オバタリアン」はしてやったり。
冠婚葬祭の式場に飾られた生花を引き抜いて持ち帰り、時にはスーパーの食品の値札を付け替えるという犯罪行為(詐欺罪)もいとわない。コンビニの前で地べたに座ってダベる若者・ジベタリアンの軟弱な足腰に対して、井戸端会議で何時間でも立ち話ができるオバタリアンの足腰は強靭そのもの。
オバタリアンは元来女性が持つ強さや逞しさを雄弁に教えてくれた。
具体的な用法例
主婦A「あの人、ずっと試食コーナーめぐりしてる」
主婦B「やーね、オバタリアンって」
主婦A「あらやだ、聞こえたのかしら。こっち睨んでるわ」
主婦B「ちょっと、こっちくるわよ。どうしましょ」
オバタリアン「ねぇ、誰がオバタリアンだって?」
主婦AB「いや、べつに、その……」
オバタリアン「冗談じゃないわよ。どういうつもりっ!」
主婦AB「ごめんなさい」
オバタリアン「私は男よっ」
主婦AB「……」
ひとくちメモ
バタリアンは英語で「大群」の意味。堀田かつひこは、“もしもオバタリアンの大群が猛威を振るったら?”という恐怖に対して警鐘を鳴らしたかったのかもしれない。