近年若者の口から「老害」という言葉を頻繁に聞きます。世間の価値観との乖離に気づかない年長者を指す言葉ですが、「老害」のように若者が大人を憂う文化は昭和にも存在しました。昭和の若者は誰のことをなんと呼んでいたのでしょう。本連載では、栗山圭介氏の著書『昭和が愛した言葉たち』(有隣堂)より、死語になってしまった昭和の言葉が持つ愛とユーモアをご紹介します。
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ロートル
旬を過ぎた人。時代遅れ。役立たず。いつまでも引退しない扱いにくいベテラン。
解説
中国語で「老人」を意味する「老頭兒(ラオトウ)」が語源。「ロートル」は、我が国では単なる年寄りではなく、「時代遅れ」「役立たず」など、キャリアを重ねてきた年配者を愚弄する言葉として使用される。とりわけスポーツ界で多用され、成績が振るわないのに引退せず、現役にこだわる年長者を揶揄するときに用いる。
とはいえ、直接本人には言えず、本人がいない場面で、厄介者扱いするのが基本。同じ年配者でも「ベテラン」は肯定的な言い方で、熟練の技や経験を親身になって後輩たちに伝えてくれるので敬意を払われている。
「ロートル」は自分が「ロートル」であることを絶対に認めない。いくら邪魔者扱いされても嫌われても、無理をして若者に挑んではうざがられる。話が長く、昔取った杵柄ばかり。生産効率よりも遠回りな人間関係を重視するアツい性格の感激屋。曲で言うならブルースのような存在だ。本当は「ロートル」である自分が時代遅れで通用しないことを知っている。それでも「ロートル」は人前では認めようとしない。強がりこそが武士道、侍スピリッツと心得、いかなるときにも万全の心技体を整え、戦に備える。
出番がなくても腐らず、同僚の手柄を誰よりも喜び誉れに感じる思いやりの人。職場を去る日に備えて、「ロートルは去るのみ」とさりげなくキメる練習に日々励んでいる。
具体的な用法例
A山「Cさんなんかもう通用しない。ロートルは早く引退してほしいよ」
B山「俺ら若手の邪魔になるだけだもんな」
A山「あ、Cさん」
Cさん「私をロートルだと?」
A山「あっ、いや……は、はい。そうです、そう思ってますよ」
Cさん「B山は?」
B山「お、俺も、そう思います」
Cさん「そうか。ならばキングと呼べ」
A山・B山「キング?」
Cさん「そうだ。サッカー界にいるだろう。あの男のように」
A山・B山「でも、俺ら野球だし」
Cさん「種目は関係ない。見せてやろう、あの動きを。それっ」
A山・B山「カ、カズダンス」
Cさん「(グギッ)オーノー」
※キング=その道の王様のように崇められる存在。
※カズダンス=サッカーの三浦知良選手がゴールを決めたときに踊る奇妙なダンス。
※グギッ=体のどこかを痛めたときの音。
※オーノー=もうダメ。
ひとくちメモ
「ロートル」は「ベテラン」「ジジイ」のように、捉え方によってはどこかカワイイというイメージがゼロで、ただ哀れなだけ。それもまた「ロートル」のエレジーである。
※エレジー=哀愁。
栗山 圭介
作家、クリエイティブディレクター