もともと悪い意味で使われていた言葉も、徐々にポジティブな意味として捉えられるようになるケースは少なくありません。しかし、本来の意味から遠ざかった言葉の使い方が浸透していたとしても、それは一概に間違いとはいえないようです。ふかわりょう氏と気鋭の言語学者・川添愛氏が、著書『日本語界隈』(ポプラ社)より対談形式で「日本語の妙味」について語ります。
「うがつ」に「色眼鏡」、「こだわり」…多くの人が“誤解”している日本語のほんとうの意味【ふかわりょうと言語学者の対談】
「誤用=間違い」ではない
ふかわ:「煮詰まる」は、本来はいい意味なんですよね?
川添:そうですね。「議論がいい感じに進んで、結論が出るところまで来た」みたいな。
ふかわ:だけど「詰まる」が、「パイプが詰まる」みたいにネガティブなものを連想させちゃうから。煮詰まるに関しては「それは、お前にも非があるよ」と言いたいです。でも、そうか、「つまるところは」の「つまる」なんですよね。
川添:たしかに、「つまるところ」の「つまる」も、いい意味の「つまる」ですね。
ふかわ:ら抜き言葉※1もよく俎上(そじょう)に載りますけど、言葉は生き物だから変化していっても間違いではないということなんでしょうか?
※1 ら抜き言葉:本来「食べられる」「見られる」「来られる」と言うところ、近年「食べれる」「見れる」「来れる」といったように「ら」を抜いて話されることが増えている。
川添:そうですね。実際、新しい用法でも多くの人が使い始めて、大勢に通じるようになったら、もうそれは定着したということになります。たとえ、それが本来の意味とは真逆であっても、それはありなんですよね。
ふかわ:そうなんだ。一方、むしろ正しい使い方をしているほうが誤解されそうで使えないケースもありますよね。
川添:ありますね。言葉に関しては、日々移ろいゆくというか。たとえば「全然大丈夫」とか「全然オッケー」といった言い方について、「全然」は本来「ない」と一緒に使わないとダメなんだから、そういう日本語はおかしい、と言う人もいます。
でも、ひと昔前は「ない」を伴わない「全然」が普通に使われていたんですよね。夏目漱石※2の小説にも「ない」を伴わない「全然」が出てくるそうです※3。
※2 夏目漱石:小説家。明治末期から活躍し、それ以前の「~候」といった文体ではない、話し言葉と同じ「言文一致」の現代書き言葉を用いて小説を書いた。
※3 『通じない日本語 世代差・地域差からみる言葉の不思議』窪薗晴夫(著)、平凡社新書。
ふかわ:夏目漱石が使っていたと言われると、ぐうの音も出なくなりますが、夏目漱石が間違えていたということにはならないのでしょうか。
川添:それはないでしょうね。もともと「全然」は「すべて」とか「まるごと」、「すっかり」みたいな意味だったそうなので。それが「ちっとも」「何にも」みたいな否定の意味で使われるようになったのは、明治の後半を過ぎてからだそうです※4。
※4 山田貞雄 (2014)「全然おいしい」、『ことば研究館 ことばの疑問』、国立国語研究所(URL:https://kotobaken.jp/qa/yokuaru/qa-10/)。
川添 愛
言語学者
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