日本語は、欧米の言語に比べ、結論を先延ばしにして断定を避ける傾向にあります。英語がストレートな表現であることから、「責任の所在を曖昧にしている」とネガティブに捉えられてしまうことも少なくありませんが、言語学者の川添氏はこの曖昧さこそが日本語の「品を保っている」といいます。芸人のふかわりょう氏と気鋭の言語学者・川添愛氏が、著書『日本語界隈』(ポプラ社)より、「日本語の妙味」についてみていきましょう。
日本人の「大丈夫」は、責任逃れと謙遜の“ハイブリッド”
ふかわ:日本人の断定を避ける傾向についてはどう思いますか。
川添:ひとつは、いい意味では「品を保つ」という意味合いがあるのかなと思いますね。
ふかわ:わ、意外な見解!
川添:はい。ふわっとさせることで丁寧に見せる。「書類をお預かりします」ではなくて、「書類のほうをお預かりします」とか。「お車が到着しました」ではなくて、「お車が到着したようです」とか。自分と物事の間にワンクッション置く感じがありますよね。
ふかわ:意地悪な見方をすると、責任の所在を曖昧にしている感じですよね。そこでも曖昧が効いている。
川添:たしかに、曖昧にすることで、「自分の判断じゃない」という責任逃れにもなるし、「私はそれを判断できる人間じゃないです」という謙遜も表せるので、いろいろな感情が混ざり合いますよね。
ふかわ:責任逃れと謙遜のハイブリッド! 日本人らしいなぁ。しばしば耳にする「誤解を与えたのであればお詫びします」みたいな、煙に巻く感じ!
川添:出ましたね(笑)。「不快に思われたのであればお詫びします」という類例もあります。「誤解するのも不快に思うのもそちらがなさることなので、それに関しては私どもは100パーセント責任を持つことはできないんですが、一応お詫びしときます」という感じですかね。
ふかわ:この混ざり具合、絶妙ですね。責任逃れに自信のなさに謙遜に、そこに調和も入りませんか? 全体の和を乱したくないという気持ち。
川添:とりあえず謝ることで、どうにか丸く収めようという意図が見えますよね。
ふかわ:なんでも欧米と比較するのもよくないかもしれませんけど、日本の全体主義と欧米の個を重んじる文化の違い。
野球でも「3番バッターからの流れがよかったですね」という日本に対して、「流れってなんだよ、俺が打ったんだよ」という欧米。だから、皆保険制度も浸透しにくい。自我を認識するときにも、我々日本人は「自分」という座標がはっきりしていなくて、関係性で自分の居場所を認識している気がします。
一方、彼らは関係性は重要じゃなくて、「俺はここにいるよ」っていう意識が強いんですよね。そういう自我の捉え方がそれぞれの言語に影響している気がするんです。
川添:日本では、最終的にはお上が決定したことに従うっていうことが、長い間、行われてきましたからね。個ではなく、公。長い歴史をそういう姿勢で生きてきましたから、「自分はこうだ」とか「自分はこう思う」とはっきり言いづらいような土壌がまだ残っているんでしょうね。
ふかわ:それがいいほうに作用することもあるのでしょうが、一長一短なのでしょう。
川添 愛
言語学者
ふかわ りょう
お笑い芸人