自分のことでバカになってくれる〝親バカ〟には感謝

私の最初の就職先は、現在のNTT(日本電信電話)で、当時の「逓信省」でした。逓信省は、郵便や電信電話を管轄していたのですが、私はそのうち電信電話(電話局)に就職したんです。


宝塚の袴姿に憧れたのも事実ですが、それ以前に父が郵便局で働いていたので、通信関係の仕事を身近に感じていたから、電話局を選んだように思います。合格通知をいただいたあと、父が電話局の知り合いから「お宅の娘さん、国語と英語の試験が満点だったぞ」と連絡をもらったようで、とてもうれしそうにしていました。


それから何年かたってからも、折に触れて「トモコは採用試験で、国語と英語が満点だったな」なんて言っていましたから、よほど鼻が高かったのでしょうね。よく〝親バカ〞と言いますが、考えてみれば、自分のことでバカになってくれるのなんて、親だけです。そう考えるとありがたいですよね。

日本の電話、今昔物語

ちなみに、みなさんは日本で電話が使われるようになったのは、いつからなのかご存じでしょうか?余談となりますが、グラハム・ベルという人が、米国で電話機を開発したのが1876年のこと。その14年後、1890年(明治23年)に東京〜横浜間で、日本初となる電話サービスが開始したんです。


そのときの加入者数は東京155世帯・横浜42世帯のわずか197世帯だったそうです(出典:KDDIトビラ)。当時の電話帳(電話加入者人名表)には「一」から順番に、「電話番号」と「加入者名」が並んでいました。


ちなみに「カステラ一番 電話は二番 三時のおやつは文明堂」という有名なテレビコマーシャルがありますけれど、文明堂では新しい電話局が開局すると電話番号「二番」を買い取り、全店の電話番号が「二番」となった1935(昭和10)年に、電話帳の裏表紙に大きく「カステラ一番、電話は二番」と広告を出したそうです(出典:文明堂HP)。

昨日の自分より上達することを目指す

当初の電話は現在のように番号を直接ダイヤルするなり、プッシュボタンを押すなりすれば、つながるというものではありませんでした。電話をかけたい人が、電話機についているハンドルを回して、電話局の交換手を呼び出し、「◯番の□□さんと話をしたい」と伝えます。


すると、交換手が呼び出したい相手に「△番の╳╳さんからお電話が入っています」というふうに伝え、接続用ケーブルのプラグを、かけた人・かけられた人の双方のジャックに差し込むことで回線が接続され、通話ができる仕組みでした。


手動なので、交換手がどれだけ短時間で正確に処理できるかが、重要なポイントだったんですね。何しろ「昨日の自分」と競うのが大好きな私なので、この重要なポイントにならって、毎日「今日は昨日よりもお客さんをお待たせする時間を短くしよう!」と張り切って仕事に向かっていました。


若くて、もの覚えがよかったので、面白いくらいに早くなっていきます。うれしくてたまりませんでした。この感覚は、若い人がゲームに熱中するのに近いものだったかもしれません。一刻も早く、正確につなぐことに、私はすっかり夢中になっていたんです。


お金をいただきながら、こんなに楽しい思いができるなんて、私はなんて幸せなんだろうと、いつも思っていました。

堀野智子
ビューティーアドバイザー