20代の頃の服を工夫して着こなし、素材の味を活かした料理を楽しむなど、そのライフスタイルが多くの人の支持を集めている美術エッセイストの小笠原洋子さん。東京郊外の3DKの団地で暮らす小笠原さんの住まいも心地よく整えられています。小笠原さんの著書『財布は軽く、暮らしはシンプル。74歳、心はいつもエレガンス』(扶桑社)から、内容を一部抜粋しご紹介します。
「家具はもちろん服、文具、小物類、調理器具も家族の遺品」東京郊外の3DK団地で暮らす74歳、心地よい住まいの秘密
遺品を最大限活用する
私はひとり立ちした頃から床面を広くして暮らしたいと思い続け、家具や調度品、飾り物を減らすことで、身の回りの簡素化に心がけてきました。ものは心をとらえて興奮させるけれど、必ず飽きるものです。そして新しいものを求めてひたすら増殖するものでもあります。
ですから私は、これまであちこちにしまってあったものの、飾ってみたい美術品などは一つの部屋に集約させて、他の部屋にはできるだけ置かないことにしたのです。また、我が家には親兄弟が遺したものがたくさんあり、私の住まいはその家族の遺品で成り立っているといっても過言ではありません。使いこなせるものはフルに活用します。
・母の遺品
私の母は、“六十の手習い”で袋物教室に通い始め、数年後に師範の免許を取って手芸教室を開きました。そのせいもあって、手芸品材がたくさん残ったのです。もっとも目を楽しませてくれるのが、大量の布地でした。リヨンで織られたゴブランなど高価な布は、関心を示された知人たちに差し上げることもできましたし、私自身のつたない“手慰み”になりました。たとえば佐賀錦を額に入れて飾ってみたり、金糸銀糸で織られた布は、好きな形に切って壁掛けにしたりしました。
その母は、節約主義で服を買わない私とは違って、高齢になってから何着かの外出着を購入していました。高齢であればこそ、安っぽい服装は、より貧相に見せるものだという考えで、比較的長持ちする服を選んでいたようです。幸い母に近い体形の私にはどれも着ることができ、これほどありがたい遺品もなかったでしょう。
他にも細かいものが遺されていました。普通なら捨ててしまうような文具類なども、私には重宝でした。私の好きな板状のガラス製文鎮、切れ味抜群のハサミ、大量のサインペン、しっかりしたプロ級メジャーや物差し、何パックものセロハンテープなど、多種にわたります。
調理道具でいえば、金ザル大小10個近く。ゴミ入れ袋10袋近く。洗剤類。お玉の穴のあるなし、大小数種。菜箸数十本入り数袋。まな板4枚……などなど。
どれもが品質もよく、長持ちするものばかり。母の遺したものには本当に助けられました。