ロゼワインは、元はと言えば「赤ワインの失敗作」。シャンパンも「倉庫に入れ忘れた」結果誕生したものでした。ワインビジネスの歴史を見てみると、失敗や偶然が生んだ奇跡があることや、時には“逆境”をもチャンスに変えて発展してきたことがわかります。渡辺順子氏の監修書籍『サクッとわかる ビジネス教養 ワインの経済学』(新星出版社)より一部を抜粋し、見ていきましょう。
必要は発明の母。偶然が生んだ「奇跡」
ビジネスの成功には、状況分析や努力だけではなく、偶然が作用することがあります。ワインの場合も、数々の偶然が発展をもたらしました。
たとえば、倉庫への入れ忘れによるシャンパンの誕生や、カビの繁殖による貴腐ワインの誕生などが挙げられます。ロゼワインもそのひとつで、黒ぶどうの抽出不足という失敗から生まれた傑作です(※1)。
また、コルクを使用したボトルでのワイン保存は、利便性のために始まったと考えられますが、熟成による付加価値の創造につながりました(※2)。
必要に迫られてとった対策が、思いがけない成功を生むこともあります。
シェリーやポートワインなどの酒精強化ワインは、輸送中の劣化を最小限にするために造られたものです(※3)。しかし、そうして生まれた風味の変化がよい方向にはたらき、人気商品となりました。
(※1)ロゼは「赤ワインの失敗作」だった
出荷を急ぐあまり、十分に色素が抽出できていない状態で発酵させたところ、ピンクになったのがロゼの始まり。
(※2)コルク栓の発明が「熟成」を可能に
18世紀にコルク栓が普及すると、ワインの保管容器が壺からボトルになり、熟成させられるようになった。
(※3)大航海時代に必要だったから誕生したシェリー
新大陸へ輸送する際、長い船旅による劣化を防ぐためにアルコール度数の高いお酒を添加して生まれた。
禁酒法はワイン産業にとって「チャンス」だった?
1920年から1933年まで、アメリカでは禁酒法で酒類の販売が禁止されました。ワイン業界にとって大きな試練で、多くのワイナリーが廃業します。
しかし、法の抜け穴を利用し「放置するとアルコール発酵が起こりワインになる」ぶどうジュースを販売するなど、ピンチを工夫で乗り切る者もいました。
<禁酒法時代にワインは売り上げを伸ばした>
禁酒法時代も人々は法をかいくぐってお酒を飲もうとし、密造や密輸入が横行した。ワインもよく飲まれており、禁酒法制定後、ビールの消費量は約70%減少したのに対し、ワインは約65%増加したという。
【禁酒法時代の抜け穴①】宗教儀式に使うといってワインを生産
教会のミサで使用するワインは、禁酒法時代も唯一生産が認められていた。そのため、一般消費者向けのワインが造れなくなったワイナリーの中には、教会向けのワイン生産に切り替えて生き残りを図ったところもあった。
【禁酒法時代の抜け穴②】家庭でぶどうを育てワインを造る人も
禁酒法で禁止されていたのは店舗での酒類の販売で、個人が家で飲むのは規制されていなかった。この法の抜け穴を突き、ぶどうジュースを発酵させてワインにしたり、自らぶどうを育ててワインを造る人までいたという。
渡辺 順子
ワインスペシャリスト
1990年代に渡米。フランスへのワイン留学を経て、2001年大手オークションハウス「クリスティーズ」のワイン部門に入社。同社初のアジア人ワインスペシャリストとして活躍する。09年に退社し、プレミアムワイン株式会社を設立。ワイン普及の活動を続けている。現在はメキシコ在住。
著書に『世界のビジネスエリートが身につける教養としてのワイン』『高いワイン』(ダイヤモンド社)、『日本のロマネ・コンティはなぜ「まずい」のか』(幻冬舎ルネッサンス新書)、『語れるワイン』(日本経済新聞出版)等がある。