儚いものほど惹かれる日本の心

花見はもともとは桜ではなく、梅見をしていたといわれています。平安時代以降、花見の対象はそれまでの梅から桜へと変わり、その後1,000年以上にわたり桜を愛で続けています。今回は、なぜ日本人はこれほど桜に惹かれるのかを、考えてみましょう。

日本人は儚いものを好む傾向にあります。日本は四季の変化に富んでおり、さらに台風や地震が重なり、我々の目に映る風景は、どんどん変化していきます。そこから日本人は、刹那に輝き、次の瞬間には消えていく、束の間の美しさを儚く美しいものとして崇めるようになりました。

この美的感覚に、桜は見事に一致するため、桜が大好きなのでしょう。長い冬を耐え、桜の芽が出て、花が咲く、それが春の到来ですね。ただ、春の到来を告げた桜の花は、どれだけ美しく咲き誇っていようと、風が強く吹き付けると、翌日には、その美しい花を地面に落とし輝きを失う。

古くは、平安時代に書かれた古今和歌集のなかで在原業平(ありわらのなりひら)が、

世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし

という歌を詠んでいます。これは「本来春はのどかな季節であるはずなのに、人は桜の花が咲くのを心待ちにし、咲いたと思えば、花が散るのが気になり落ち着きません」と、まさに桜は儚いゆえに魅力的である旨をつづっています。