タピオカ、ナタデココの登場で盛り上がる「スイーツ」ブーム

次に出てきたのは、キャッサバのデンプンが材料の、丸いパール状のタピオカ。最初のブームのときは、タイ料理店のデザートとして人気でした。それから大きなブームになったのが、ナタデココ。ココナッツジュースを発酵させた食材で、タピオカと同様、クニュクニュした食感が売りです。

ナタデココは、1992年にファミレスのデニーズがデザートメニューに登場させ、流行に火がつきました。『ファッションフード、あります。 はやりの食べ物クロニクル1970-2010』によると、さまざまな飲食店で出されたほか、ビン詰めや缶詰が爆発的に売れたそうです。

産地のフィリピンでは特需景気が起こったのですが、生産体制が整った頃にナタデココのバブルが崩壊し、フィリピン側には莫大な負債と無用になった工場が残り、熱帯雨林の伐採などの環境破壊を引き起こしてしまいました。日本のブームが悪影響を与えた、悲しい事件でした。ただ、ナタデココについては、今もゼリーに使われるなどして生き残ってはいます。

タピオカは、2019(令和元)年にタピオカ・ミルクティーとして再ブレークしたことをご存じの方も多いでしょう。このときはティラミス以来ではないかと思われるほどの大流行で、全国各地にタピオカ・ミルクティーのスタンドができました。タピオカ・ミルクティー味のアイスも出ています。

2010年代後半からアメリカなど世界各地でブームになっており、日本では、少し遅れて流行しました。台湾からタピオカ・ミルクティー店のブランドが続々と進出したことがきっかけです。このブームは、アイスティーが主力だったことから秋冬は静かになっていましたが、2020年の春先に盛り上がりかけました。

しかし残念ながら、コロナ禍が広がり、飲食店が軒並み休業し外出も控える事態になったことから、流行の火は消えてしまいました。

平成の初め、アジア発のお菓子が流行ったことで、それまでお菓子については、「洋菓子」「和菓子」と呼んでいたのが、呼び名に困る事態が発生しました。その呼び名を最初に提案したのはまたしても『Hanako』で、1991年以降、くり返し「スイーツ」と見出しに使っています。ただ、本格的に定着したのは、2003(平成15)年に自由が丘に開業した「自由が丘スイーツフォレスト」がきっかけです。