大の「豚肉」好きだった西郷隆盛

今、薩摩藩の黒豚の話が出ましたが、薩摩藩は外様で江戸から遠かったせいか、琉球を支配下に入れていたせいか、肉食の禁忌がありませんでした。日本SPF豚研究会の雑誌『All About Swine』で発表された「江戸時代における豚の飼育と薩摩藩」(井上忠恕、2018年)によると、豚は「歩く野菜」と呼ばれ、自家菜園を持つように自家飼いすることが珍しくないほど親しまれていました。

江戸の薩摩藩邸でも豚が飼育されていましたし、『拙者は食えん!』によると、西郷隆盛は大の豚肉好きで、特に脂身を好んでいたといわれています。

薩摩藩で養豚が始まったのは、戦国時代に活躍した島津家久が、侵攻した琉球から移入したことがきっかけです。『琉球の風水土』(木崎甲子郎・目崎茂和、築地書館、1984年)によると、琉球では14~15世紀から養豚が始まっていて、盛んになったのは1605年に中国からサツマイモがもたらされ、餌が豊富になったことがきっかけなのです。

そのころ、薩摩にも豚肉が入る。サツマイモも入って、多くの日本の人たちを飢えから救うようになります。養豚は中国からもたらされました。中国は豚肉食が盛んですが、日本の豚肉料理は中国と沖縄から学んだものがベースになって、始まっているのです。

少し話が飛びますが、『オムライスの秘密 メロンパンの謎』(澁川祐子、新潮文庫、2017年)によると、大正時代に『田中式豚肉調理二百種』(中村木公編、博文館、1913年)、『田中式豚肉料理』(玄文社出版部、1919年)という2冊の豚肉レシピ本を出した人がいました。

著者は東京帝国大学教授の田中宏で、豚の解剖学の権威でした。レシピを考案するにあたり、田中教授が参考にしたのは、沖縄や中国の豚肉食文化です。これらの本がきっかけで定着した料理の代表が、豚のショウガ焼きでした。

最初の話に戻すと、沖縄の豚肉食が有名だったからこそ、豚肉の鍋を、幕末の人たちは琉球鍋と呼んだのですね。豚は、江戸時代の日本でも、医師の解剖研究のためや、どぶの汚れや台所から出る汚水処理のためなどの理由で飼われていました。時代劇には出てきませんが、実際の江戸の町では、人々は豚とともに暮らしていたのでしょう。