代表曲『残酷な天使のテーゼ』で知られる歌手の高橋洋子さん。「『残酷な天使のテーゼ』でヒットを飛ばした後に、芸能界から身を引いて介護の仕事をしていた」時期があったと言います。本稿では、川内 潤氏の著書『わたしたちの親不孝介護 「親孝行の呪い」から自由になろう』(日経BP)より一部を抜粋し、5年間プロとして介護の現場に身を置いた高橋さんと川内さんのインタビューを紹介します。
「こちらが『してあげる』より、受け取れるもののほうがずっと多い…」5年間〈介護〉の仕事に携わった歌手の高橋洋子が気付いたこと
介護に「関係ない」と言える人はいない
高橋:まず、生きていくためだからそんなことは言っていられない。もともと、1人の人間としてぬくぬく暮らしながら歌っている自分ではダメになると思って始めたことですから、ご縁があって自分ができることであれば、何でもやらせていただきたいと思っていました。
そして何より、介護って「自分に関係ない」人がいない、というか、誰もがいつか通る道じゃないですか。
川内:そうです、そうなんです。絶対にそう思います。
高橋:ですよね、やらない人、やったことがない人が語れます? これ(介護)。
川内:あのですね……すみません、高橋さんのお話を聞く場なのに。
高橋:どうぞどうぞ。
川内:私、昨日ちょうど厚生労働省の方と打ち合わせをしていて、「この人、分かってないんじゃないかな」と思ったんですよ。何がかと言いますと、制度のことはもちろん私より知っているでしょうし、今の日本の超高齢社会の状況についてもそうでしょう。
でも、人の機微というか、高齢で生きていく方の気持ちというか、もっと思い切って言うと、そういう方々の美しさ、みたいなものがまったく認識されていない、存在すら感じていないんだなと。高齢者が「社会課題」だとしか見えていない。
高橋:そうなんです。本当にそうなんですよ。本当はこちらが「してあげる」より、受け取れるもののほうがずっと多いのに。
川内:分かりますか。
高橋:分かりますとも。
(写真:大槻純一)