自動車メーカーのみならず、世界的なIT企業が開発を競う、車の自動運転技術。じつは、「自動運転」という発想自体は、いまから80年以上も前から存在していました。多くの自動車ユーザや技術者たちが夢見たこのテクノロジーは、2023年現在、どこまで進化しているのでしょうか。※本稿は、テック系メディアサイト『iX+(イクタス)』からの転載記事です。
ベテランドライバーなしでも「安心・安全」に目的地へ! 無人運転の可能性 (※写真はイメージです/PIXTA)

クルマの「運転席」という概念がなくなる日

 

(※写真はイメージです/PIXTA)
(※写真はイメージです/PIXTA)

 

とある日曜日の朝、郊外の住宅地。

 

自宅の車庫で、家族が大型ミニバンに乗り込む。スマホでクルマのシステムを起動し、音声認識で「東京ディズニーランドに連れてって」とクルマに話しかける。

 

すると、クルマが自動で走り出す。

 

車内では、お父さんは仕事の疲れからウトウト。お母さんはスマホでママ友とLINE。小学5年生のお兄ちゃんと小学3年生の妹は、ネットフリックスに夢中だ。最近学校でプチブームになっているアメリカのホームコメディを日本語吹き替えで観ながらクスクス笑っている。

 

クルマは途中、ハンバーガーチェーンに寄って、あらかじめ車内で注文しておいた品物をピックアップ。その後、高速道路のインターチェンジから本線に入り、時速100kmの巡航走行に入る。

 

こうした走行中、運転席にはドライバーはいない。

 

というより、運転席という概念がなくなってしまった――。

 

そんな世界が、もうじきやって来るでしょう。正確には、2023年初旬時点で“ほぼ実現している”といえるのかもしれません。

80年以上前から温められていた「自動運転の構想」

(※写真はイメージです/PIXTA)
(※写真はイメージです/PIXTA)

 

自動運転、または無人運転といった言葉は、ほとんどの人が耳にしたことがあるでしょう。

例えば、自動車メーカーのテレビCMでは、有名タレントがハンドルに手を添えない状態でクルマが実際に走るシーンで「自動運転技術を使った…」というコメントが流れます。

 

また、「〇〇町ではきょうから、公共交通で自動運転バスを使った実証試験が始まりました…」といったローカルニュースが流れることも珍しくありません。

 

そんな自動運転ですが、「あったらいいよなぁ~」という発想は随分前からありました。

 

各種資料を調べていると、自動運転の考え方が世界で初めて明確に示されたのは、いまから80年以上も前の1939年のニューヨーク万博でしょう。

 

アメリカのゼネラルモーターズ(GM)が「フューチュラマ」という大型展示スペースを設けました。これは、フューチャー(未来)の都市空間をジオラマとしたものです。ここでは、超高層ビルが立ち並ぶ中を『オートメイテッド・ハイウェイ』が走っています。まさに、自動運転の世界感です。

 

GMは「オートメイテッド・ハイウェイ」(自動化高速道路)に関するPR動画も制作しています。家族団らんのお出かけで、高速道路に乗ると「ここからはオートメイテッド区間になります」と、まるで飛行機の管制室のような場所から指令が下り、クルマが自動運転モードに転換。車内では、食事をしたりしてリラックスしながら目的地に向かう、というストーリーです。

 

しかし、当時の自動車技術ではオートメイテッド・ハイウェイの実現はかなり難しく、あくまでも「夢物語」に過ぎませんでした。

実証試験が始まったのは、第二次世界大戦後

 

自動運転に関する具体的な実証試験が始まったのは、第二次世界大戦の後になってからです。この段階では、運転席は確かに無人の状態ですが、あくまでも先導車から細い有線ケーブルでつながれた状態での走行でした。

 

それからさらに50年近く経っても自動運転は実現しなかったのですが、2000年代に入ると自動運転を関する状況に変化が生じました。

 

背景には、大きく2つの流れがあります。

 

ひとつは「アメリカの国防技術政策としての無人移動体の研究開発」、もうひとつは「量産車での予防安全技術」です。

 

順を追って見てきましょう。

 

アメリカの国防技術政策としての無人移動体の研究開発

米ソ冷戦時代が終わり、ロケット開発や宇宙開発の主導が連邦政府から民間へと移っていくなか、アメリカ連邦政府の関係機関では、空中、水中、そして陸上での敵地偵察や災害時の調査を無人でおこなう移動体の研究が進んでいました。

 

このうち、陸上での無人走行については、アメリカ国防総省が所管する研究所が2000年代に一般公開型のコンテストを3回開催し、それらと連動するように無人移動体に関する国際会議のなかから自動運転に関する分野が独立します。

 

筆者は、この国際会議をアメリカで定常的に取材してきました。

 

ここでは国防への対応ではなく、産業競争力強化というビジネスとしての視点が重視されました。そのため、道路交通や車両に係る法規が議論の中核になり、アメリカ側からは運輸省、日本からは国土交通省の関係者などが参加し、自動車メーカーや道路事業者、そしてITベンチャーなどの民間企業を交えた協議が進んでいきました。

 

このなかで、アメリカ運輸省道路交通安全局(NHTSA)とアメリカ自動車技術会(SAE)、そしてドイツ連邦道路交通研究所(Bast)が共同で策定した「自動運転レベル」を公表します。

 

発想としては「自動運転の議論をするための指標が必要だ」ということなのですが、最初はNHTSAとSAEの2つの自動運転レベル表示方法があったため「これではかえって議論しづらい」といった声が挙がるなど、自動運転はまだまだ創世記という印象を受けました。その後、オバマ政権末期に2つの自動運転レベルの考え方はSAE案に一本化されます。

 

量産車での予防安全技術

一方で、2000年代に入り、自動車産業界では予防安全技術への関心が高まっていました。

 

自動車の安全技術には、衝突した場合に乗員の安全性を確保するため、シートベルト、エアバック、そして車体構造の設計による衝突安全という考え方があります。

 

これに対して予防安全技術とは、自動車が物や人に衝突することを事前に防ぐ、または仮に衝突した場合でも衝突による被害を低減しようという考え方です。

 

近年では、ADAS(アドバンスド・ドライバー・アシスタンス・システムズ:先進運転支援システム)と呼ばれる分野になります。

 

具体的には、衝突被害軽減ブレーキ(いわゆる自動ブレーキ)、アクセルとブレーキの踏み間違い防止装置、車線逸脱防止装置といった機能があり、日本では高級車から軽自動車までADASは広く普及しています。

 

ADASはその名の通り、運転者をサイドサポートする役目なのですが、先に説明したアメリカでの自動運転に関する議論のなかで、結果的にADASが”自動運転の一種”という解釈になってしまったのです。

 

自動運転レベル1~2はADASであり、3~5が自動運転という解釈です。

 

こうした区分けが、クルマのユーザーにとって少し分かりにくい印象があるのではないのでしょうか。これから先、どこかのタイミングで自動運転レベルの定義が見直されることになるかもしれません。

ニューヨーク万博で夢見た世界が、現実になろうとしている

(※写真はイメージです/PIXTA)
(※写真はイメージです/PIXTA)

 

いずれにしても、クルマのユーザーの視点では、2023年3月時点で国内販売されている様々な新型車に乗ると「まるで自動運転のような体験」ができる環境が、すでに整っています。

 

例えば、トヨタの燃料電池車「MIRAI」やレクサス「LS500h+」の場合、カーナビで目的地をセットすると、高速道路に入って一定の条件になれば、ハンドルから両手を離してもよい「ハンズフリー」の状態になります。前方のクルマを追い越す自動での車線変更や、高速道路の分岐点でも目的地に向けて自動で車線変更をしてくれます。

 

これらは自動運転レベル2なので、本来的には自動運転ではなくADASなのですが、現在の自動車技術はここまで進化しているのです。

 

また、ホンダ「レジェンド」は世界初の自動運転レベル3となり、渋滞中の「ハンズフリー」状態の場合、車内でドライバーが動画視聴をすることが法的に許されています。

 

まさに80年以上前のニューヨーク万博で人々が夢見た世界が今、こうして現実のものとなりつつあるといえるでしょう。

 

今後、乗用車分野での自動運転技術はいったいどこまで進化していくのでしょうか?

 

街中を走るクルマが完全無人運転になる日は、いつ来るのでしょうか?

 

これから先の時代の変化を、ワクワクしながら見守りたいと思います。

 

 

桃田 健史

自動車ジャーナリスト、元レーシングドライバー。専門は世界自動車産業。エネルギー、IT、高齢化問題等もカバー。日米を拠点に各国で取材活動を続ける。日本自動車ジャーナリスト協会会員。