(※写真はイメージです/PIXTA)

明治初期の日本では領域(主権が及ぶ範囲)の画定が進むなか、日中両属であった「琉球」の帰属が問題化しました。明治政府は「琉球奪還」のため、いったいどのような手段を用いたのでしょうか。有名予備校講師で『大人の教養 面白いほどわかる日本史』(KADOKAWA)著者の山中裕典氏が、明治初期(1870年代)の外交について解説します。

一枚岩ではなかった…“征韓”、北海道帰属をめぐる明治政府

(2)朝鮮に対し、日本はどのような姿勢で臨んだのか?

朝鮮外交を担った対馬藩が消滅したのち、日本の国交要求を朝鮮が拒否すると、軍事力を用いてでも朝鮮を開国させる()韓論()が政府内で唱えられました。

 

しかし、帰国した岩倉使節団メンバーが「内治()優先」を唱えて反対し、征韓が中止されると、敗れた征韓派の西郷()隆盛()(薩摩)・板垣退)()(土佐)・後藤()()二郎()(土佐)・江藤)新平()(肥前)は辞職しました(1873明治六年の政変)。

 

ところが、その後の日本は朝鮮へ軍艦を派遣して挑発行為を行い、朝鮮からの反撃を口実に()()()を占領して開国を迫り(1875()()()事件)、朝鮮と()()修好()条規(1876)を結びました。朝鮮は「自主ノ邦(くに)」「日本国ト平等ノ権ヲ保有」と規定され、建前では独立・対等な近代国家同士の条約を日朝間で結ぶことで、清の主権を朝鮮に否定させたのです。

 

一方、領事裁判権を朝鮮に承認させ、関税免除の特権も得るなど、実際は日本に有利な不平等条約だったので、その後の日本は朝鮮への政治的・経済的進出を強めていきました。

 

(3)政府は、北海道をどのように統治したのか?

政府は、蝦夷地()北海道と改称して開拓使()を設置し、アメリカ式の大農場経営方式を採用し、開拓と対ロシア防衛のため屯田兵制度も設けました(士族授産の一環)。さらに、札幌農学校を設立し、アメリカからクラーク(“Boys,be ambitious!”)を招きました。

 

しかし、政府がアイヌの「日本人への同化」を基調に日本語教育や農業奨励を推進したことで、伝統的な文化や生活が失われていき、その傾向は北海道旧土人保護法が制定されて拍車がかかりました。

 

国境の画定~北方と南方とで、どのように国境が画定したのか?

[図表2]明治初期におけるロシアとの国境(略地図)
[図表2]明治初期におけるロシアとの国境(略地図)
出所:『大人の教養 面白いほどわかる日本史』(KADOKAWA)より抜粋

 

北方では、日露間で()()千島()交換()条約()(1875)が結ばれ、国境を定めていなかった樺太がロシアに譲られる代わりに、ロシア領だった得撫島から先の千島列島を全て日本領としました。

 

南方では、小笠原諸島の領有を各国に通告して内務省が管轄し、のち東京府に編入されました。

 

 

山中 裕典

河合塾/東進ハイスクール・東進衛星予備校

講師

 

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※本連載は、山中裕典氏による著書『大人の教養 面白いほどわかる日本史』(KADOKAWA)より一部を抜粋・再編集したものです。

大人の教養 面白いほどわかる日本史

大人の教養 面白いほどわかる日本史

山中 裕典

KADOKAWA

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