本連載は、起業支援NPO、金融コンサルティング・M&A・不動産・投資教育事業会社などを多数運営する、佐々木敦也氏の最新刊『中小ベンチャー企業経営者のための“超”入門M&A』(ジャムハウス)の中から一部を抜粋し、中小ベンチャー企業のM&Aにまつわる、失敗事例と成功事例を紹介します。

「糸ヘンブーム」などに乗って成長を遂げたが・・・

前回の連載、『中小ベンチャー企業経営者のための「会社(事業)の売り方」』では、中小ベンチャー企業経営者のための「会社(事業)の売り方」を中心にご紹介したが、本連載では、M&Aにまつわる失敗事例と成功事例を見ていきたい。これまで私が実際に経験してきたことを含め、読み物として編集している。とりわけ失敗事例から学ぶことは多いと考えている。

 

【甲社創業】

甲社は1960年代に創業し、繊維製造業を営み、地元での著名企業であった。会長A氏は創業者。B氏は息子で社長を任されている。A氏は地元の織物工場に勤めたのち、得意先の社長の薦めで独立、甲社を起業した。当時は「糸ヘンブーム」〜「高度成長期」と繊維業界も沸いていた。

 

 

甲社は国内販売とともに東南アジアなど海外への輸出も行い順調だった。息子のB氏が大学卒業後に勤めていたメーカーを退職し、後継ぎとして甲社に入社した。

 

やがて経営全般はB氏が担い、A氏がB氏をバックアップするという体制となった。B氏は大学やメーカーで培った人脈を活かし繊維事業は70年代盛況となった。

 

しかし、80年代半ばを過ぎると赤字計上が多くなる。円高の影響で東南アジア等の海外輸出が激減したが、最大の打撃は大手繊維企業の不振だった。大手向けの国内販売も激減した。売上は絶頂期の50%にまで落ち込んでいた。

 

繊維業界は薄利多売が基本である。そのため生産量を減らすことは難しい。一定の生産量を堅持して、売上を保ち、雇用を守り、設備を維持する。この繊維業界の経営常識が通じなくなってきた。(※1)もともと利鞘の多い業界でないのに加え、物価の上昇、賃金の上昇でさらに利益が圧縮された。それに追い打ちをかけるような90年代の大手の不振は、「バブル崩壊」の時期に当たった。

従業員の雇用維持のために会社売却を検討

「バブル崩壊」から10年以上が経過し、業界が厳しい中、甲社はなんとかがんばっていた。きちんと技術管理をしていたことで高品質を保ち、売上は維持できていた。しかし80年代に採用した従業員が30名近くおり、彼らの雇用を維持するため、A氏とB氏は会社へ個人貸付をせざるを得なかった。さらに甲社の金融機関からの負債は年々増加していった。

 

この時期2000年代に入り、B氏はM&Aでの他社への売却を検討する。(※2)B氏には甲社の限界が見えてきたからである。営業と経理面からB氏は甲社の危機を肌で感じていた。

 

(※3)そこでB氏はインターネットで知った丙M&Aアドバイザー(仲介型)に相談することにした。B氏は大手の繊維メーカーに国内工場として買収してもらおうと考えていた。職人気質のA氏は、もはや実務に関してB氏に一任しており、具体的に甲社がどの程度危機的な状況かは正確に理解できていない。「従業員の雇用が維持できるなら」と息子B氏の甲社売却提案に抵抗することはなかった。

 

この話は次回に続く。

 

失敗の教訓

 

(※1)業界自体が縮小傾向にある場合は、技術力・歴史があっても高額の売却につながりにくい場合も多い。

 

(※2)トップが自社の限界を感じているなら、早い売却決断が必要。

 

(※3)売り手買い手双方の仲介型M&Aアドバイザーとの付き合い方には注意。利益相反の問題があり、依頼するならば双方のバランス力があるM&Aアドバイザーが必要。着手金ありの業者ならば、それ狙いのところもある。選定には十分注意を払いたい。重要なのは、依頼したM&Aアドバイザーが売り手に対して「勘定と感情」をきちんと整理して判断できるようにアドバイスをしてくれるか、である。

 

中小ベンチャー企業経営者のための“超”入門M&A

中小ベンチャー企業経営者のための“超”入門M&A

佐々木 敦也

ジャムハウス

日本の中小ベンチャー企業がM&Aをどのように活用できるか、またすべきか、という視点に重きをおいてまとめた入門書。 元M&Aアドバイザーが客観的・中立的な視点で、大企業でない中小ベンチャー企業のM&A市場を概観し、M&Aの…

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