「社長の教祖」と異名を持つ一倉定氏は経営者をよく叱った。叱られるたびに多くの経営者は目を輝かせた。社長の教祖は「世の中に、良い会社とか悪い会社なんてない。あるのは良い社長か悪い社長だけである。会社は社長次第でどうにでもなるんだ」と断言したという。なぜ、令和の時代に「一倉定」が注目されるのか。本連載は作間信司著『伝説の経営コンサルタント 一倉定の社長学』(プレジデント社)からの抜粋です。

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魔法の書「経営計画書」作成合宿7泊8日

先に紹介した通り一倉先生の講座は東京・大阪・福岡の3会場を基本に年間8コースで組まれていたが、特別コースとして「経営計画作成合宿」が年に2回開催されていた。

期間は7泊8日の長丁場であり、全国から8コースを終えた社長が60~70名参加されていた記憶がある。

 

私自身、はじめて合宿を覗いたのは20歳、大学3年の頃だ。アルバイトの使い走りとして、宮崎フェニックスに連れて行ってもらった。数えてみれば、40年も前である。

 

7泊8日の長丁場の「経営計画書」作成合宿が行われていた。(※写真はイメージです/PIXTA)
7泊8日の長丁場の「経営計画書」作成合宿が行われていた。(※写真はイメージです/PIXTA)

 

予備知識は当然ゼロ。大学の20年先輩にあたる日本経営合理化協会の石井義隆企画部長(当時・後に専務理事)に、「美味いモノ食わしてやるし、飛行機にも乗れるぞ」とおだてられて2つ返事で、野獣のような人たちが集まっていることも知らずにルンルン気分のまま会場へ向かった。

 

ありがたいことに、当時若手社長として参加しておられた方が、今は会長になられてはいるが現役で頑張っておられ、息子さんたち後継社長のことでお電話をいただいたりする。ご縁とは本当に不思議なものである。

 

ホテルの広い会議室は人数分の机でびっしり埋まっていて、テーブル1つに社長が1人ずつ座っている。窓の外は見渡す限りの太平洋、眼下には有名なゴルフ場。リゾートホテルには不似合いの机の上には経営資料、ファイルがど~んと積んであった。今のようにパソコンはないので当然である。

 

会議室内には、掟がどうもあったらしく「先輩社長」(合宿経験者)と「初年兵」という区分があり年齢に関係なく、先輩が相当威張っていた。さながら映画で見る軍隊である。いよいよ先生の講義開始となり、アルバイト君の私も一番後ろの事務局机でボ~っとしていた。先生は開口一番「さあ、同じ釜のメシを喰う仲間ができた! 勉強はそこそこに大いに先輩と同期と遊べ!」と語り出した。肝心の計画書は「なかなか書けないと思ったら先輩の計画書を見せてもらえ」。極端に言えば、「糊とハサミで経営計画書を作れ!」と言っているようなものである。

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一倉定の社長学

一倉定の社長学

作間 信司

プレジデント社

「社長の教祖」と異名を持つ伝説の経営コンサルタントは経営者をよく叱った。しかし、叱られるたびにに多くの経営者は目を輝かせたという。ユニ・チャーム、ドトールコーヒー、サンマルクカフェなどの創業者たちは教祖の一喝か…

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