昭和の母子家庭で育ち、「いつか恩返しを」と誓った少年時代

現在45歳の会社員であるAさん。彼の両親は、性格の不一致を理由にAさんが5歳のときに離婚しました。以来、母は女手一つでAさんを育ててくれたのです。働く母の姿を見て育ったAさんは、「自立したら親孝行したい」と心に誓っていました。

当時、母子家庭を取り巻く環境は優しいものではありませんでした。1983(昭和58)年のデータを見ると、母子世帯・父子世帯ともに離婚が約5割、死別が約4割となっており、世帯数は約71.8万世帯でした。2021(令和3)年になると、119.5万世帯まで増え、そのうち離婚が79.5%、死別が5.3%と、近ごろは離婚が約8割を占める時代へと変化しています。

昭和の終わり、いまほど母子家庭が多くなかった時代、Aさんは「親が離婚している」という理由だけで学校でいじめられました。その辛さから、親孝行したい気持ちとは裏腹に、学生時代は勉強に集中できずに過ごしたといいます。

学生生活をなんとか乗り越え、実家から離れた小さな会社への就職が決まりました。初任給は大企業に比べると少なく、月収15万円。そのなかでAさんは自身の生活を切り詰め、母へ仕送りすることを決意します。

Aさんが働きはじめた当時、母は45歳。定年退職は60歳の予定ですが、「私の年金は少ないから、働けるうちは働き続けないといけない」と話す母に対し、Aさんは少しでも恩返しがしたいと、毎月の仕送りをスタートさせました。

20年以上続けた「月1万円」の重み

Aさんは毎月1万円を実家の母へ送り続けました。その生活が10年ほど過ぎた30代のとき、Aさんは人生の伴侶と出会い、結婚します。なかなか昇給しない厳しい給与水準のなかで、自身の家族の生活を維持するのは容易ではありませんでした。やがて子どもが生まれてからも、母への毎月1万円の仕送りだけはなにがあっても続けようと、必死に頑張ってきたのです。

その後、少しずつではありますが給与も増え、現在のAさんの月収は30万円になりました。しかし、子どもの教育費や住宅ローンの返済もあり、妻もパートで働いているものの、生活が苦しいのは今も昔も変わりません。

月日は流れ、68歳になった母が病に倒れました。母は勤めていた会社を退職し、65歳から受給している年金で暮らすことになります。日々の仕事や家庭の忙しさに追われ、なかなか帰省できていなかったAさんでしたが、病報を機に、久々に実家へと足を運びました。

ところが、久々の再会を喜ぶ間もなく、母の口から出たのはAさんへの不満だったのです。

「毎月1万円の仕送りでは、この物価高じゃあっという間になくなってしまう。いまの時代、1万円なんて少なすぎる。本当に親孝行したいと思っているのであれば、もっと仕送りすべきではないか」