新規事業のせいで、気づかぬうちに“本業”が揺らぐ理由
公認会計士である筆者は、新規事業に関する相談を受けることがよくあります。こうした場でよく耳にするのが、「新規事業が思うようにいかず、気づけば既存事業までおかしくなってしまった」という声です。
くわしく状況を伺うと、売上自体は大きく落ちていないにもかかわらず、社長の負担だけが増え、資金繰りに余裕がなくなり、現場の安定感がじわじわと失われているケースが少なくありません。
ここで起きているのは、いわゆる“赤字”とは少し違う現象です。社長の時間や人材配置、資金の優先順位といった経営資源が、気づかないうちに新規事業へ偏っていくことが問題の背景にあると考えられます。
しかもその変化はゆっくり進行するため、対応が後手に回りやすいのです。そうして、本業の基盤は少しずつ侵食されていきます。
とはいえ、新規事業が本業を侵食するのは、“挑戦そのもの”が誤っているからではありません。本来、企業には本業を磨き競争優位を高める道もあれば、将来の変化に備えて第2、第3の柱を育てる道もあります。どちらも合理的な選択肢です。
問題となるのは、挑戦の是非ではなく、その設計の在り方です。
新規事業と既存事業が“共倒れ”するワケ…サービス業を営む中小企業Xの事例
近年、補助金制度の拡充や市場の成長性を背景に、新規事業に踏み出す企業が増えています。
サービス業を営む中小企業Xも、そうした企業のひとつ。設備中心のビジネスであることから、稼働すれば一定の収益が見込め、人手も多くはかからないと判断し、急拡大していた「シミュレーションゴルフ事業」に参入することを決断しました。
開業当初は、順調そのものでした。予約は埋まり、売上も計画どおりに推移していきました。
しかし、数ヵ月もすると、夜間の予約変更や予期せぬ機器トラブルへの対応、会員規約に関する個別相談、口コミへの返信など、こまごまとした対応が次々に発生。「収益計画には表れない負担」が積み重なっていきます。
本業は日中に業務が集中していたのに対し、新規事業は夜間や週末にも動きます。その結果、社長は日中も夜間も対応に追われ、本業に割ける時間が目に見えて減少。本業の確認作業が後回しになり、判断のスピードや精度が少しずつ落ちていきました。
やっかいなのは、新規事業の売上自体は黒字だったことです。数字が出ている以上、撤退や縮小を決断するのは簡単なことではありません。
「もう少しで軌道に乗る」という期待からつい時間をつぎ込み、やがて「収益の柱」である本業の質が気づかぬうちに損なわれていくのです。
もっとも枯渇しやすい資源は、経営者自身の判断力
このように、新規事業と既存事業が“共倒れ”してしまうのは、新規事業の難易度が高いからではありません。むしろ、「(既存事業の)延長でできそうだ」「少し手を加えれば済む」という認識が、その負荷の大きさを見誤る原因となります。
たとえば、イートインのみの飲食店がテイクアウトを始める場合、一見すると「既存業務の延長」のように思えます。しかし実際には、容器選びや発注、提供導線の確保、価格設定の調整、品質維持の工夫など、新たな検討事項が数多くあります。1つひとつは小さくても、積み重なればその負担は決して無視できません。
経営でもっとも枯渇しやすい資源は、資金ではなく経営者自身の判断力です。新規事業が増えれば、それだけ判断の種類や頻度が増え、その分だけ既存顧客への対応や従業員への指示、戦略の検討といった既存業務に影響が出ます。
問題の本質は、損益計算書には現れないもしくは見えない「判断の負荷」が、いつの間にか積み上がっていくことにあるのです。
新規事業の成功を左右する「仕組み」づくり
既存業務は、再現性と効率を高めていく営みです。これに対し新規事業は、不確実な状況のなかで「仕組み」を構築していく営みです。
このように、両者はその性質がまったく異なるにもかかわらず、多くの企業は両者を同じ延長線上にあるものとして扱い、既存社員の “空き時間”を前提に始めてしまいます。
しかし、新規事業で本当に重要なのは、斬新なアイデアなどではなく、運営体制の設計です。
たとえば、集客の流れをどうつくるか、サービス内容をどう説明するか、トラブル時の対応をどうするか、誰にどこまで権限を任せるか──こうした“運営の型づくり”が新規事業の成否を左右します。これを軽視してしまうと、最終的には判断が経営者に集中し、業務のボトルネックが生まれます。
売上が伸びているのに現場に余裕がないのは、仕組みが整っていないことが原因であることが少なくありません。
本業を守りながら新規事業を育てるポイントは下記の3つです。
1.経営者が関与する時間に上限を設ける
月ごと、あるいは週ごとにどの程度まで関与できるのかを明確にし、それを超える場合は体制を見直しましょう。
2.既存業務への影響を定量的に把握する
売上や利益だけでなく、確認作業の遅れや顧客対応時間の増加といった“見えにくい変化”も指標に含めましょう。
3.撤退・縮小の基準をあらかじめ設定する
数値や期間を先に決めておけば、判断に迫られた際に感情に流されにくくなります。
物販が有力な収益源に
新規事業は、どうしても“可能性”の議論に偏りがちですが、並行して既存事業への影響を検証する視点が欠かせません。
ある美容室Yは、新たにヘアケア商品の販売を始める際、いきなり売場を広げることはしませんでした。まずはレジ横に少量を置き、会計動線や説明の負担、在庫管理の手間を検証。日常業務への影響が限定的であることを確認したうえで、徐々に品目を増やしました。
その結果、施術品質や回転率を犠牲にすることなく、物販は重要な収益源へと成長しました。
企業を疲弊させるのは、一度の大きな投資というよりも日々の小さな無理の積み重ねが背景にあることが多いです。新規事業は「育つまで耐える」ものではなく、「壊れにくい形で広げる」ものとして設計されるべきでしょう。
異業種参入時、既存業務を守る「フランチャイズ」という選択肢
新規事業が「異業種」である場合、負担はさらに大きくなります。料金体系や教育体制、安全管理といった仕組みをゼロから構築するには、相応の時間と判断が必要です。
ある小売業Zは、フィットネス事業に参入するにあたって、既存ブランドの「フランチャイズ」を選択。自社オリジナルのフィットネスブランドを作るのではなく、すでに成功しているフィットネスチェーンの加盟店として参入しました。
確立された運営モデルを活用することで、立ち上げ時の試行錯誤を減らし、既存業務への影響を最小限にとどめることができました。フランチャイズは万能ではありませんが、判断負荷を軽減するという観点では有効な手段になり得ます。
終わりに
新規事業はしばしば「拡大戦略」の象徴として語られます。しかし実際には、人材や資金、時間といった限られた経営資源を再配分するという、非常に慎重な判断が求められます。
新規事業への挑戦は、既存事業という基盤があってこそ意味を持ちます。新規事業を軌道に乗せるには、その基盤を損なわない設計がカギになります。
貝井 英則
シェル総合会計事務所代表/公認会計士/税理士/社会保険労務士/証券アナリスト/宅建士

