変化する流行や時代の中で「普遍的なデザイン」を目指すプロダクトデザイナーの秋田道夫氏。今回は、同氏の著書『仕事と人生で削っていいこと、いけないこと』(大和出版)から一部抜粋・再編集し、年を重ねていくなかで取り残されない生き方のヒントを探ります。

「老害」は時代のせいじゃない…70代で「取り残される人」と「取り残されない人」の決定的な違い【“老害側”の70代人気デザイナーが解説】
「前に出たい欲」をコントロールすることが「老害化」防止のカギ
「老害」という言葉があります。年配の人の行状を批判するのによく使われる言葉ですが、その言葉を聞くたび、「なぜ誰もがいずれ確実に歩む道だという発想を持たないんだろう」と「老害側」のわたしは思います。
まあ、「自分だけはそうならない」と思いたい気持ちはよくわかります。根本的な話をすると、老害というのは、元々問題のある人が歳を取っただけというのがわたしの結論です。いわば若くても「老害性の人」、つまり「場所をわきまえず大声で威嚇するようなタイプ」はいるでしょう。つまり、歳を取ったからみんな「声が大きくなる」わけではありません。あるとき、こんなふうに嘆く人がいました。
「昭和の時代に自分の意志を押さえつけられて育ち、今、自由な行動が許される立場になって、どうしていいかわからない」。
わたしは昭和の真ん中生まれですが、このように都合よく「時代」を持ち出して言い訳に使うことにはまったく共感を覚えません。時代のせいにしてはいけないと思います。
わたしは昔も今も言いたいことを言っています。人に言われたことに従っているなら、それは自分がそういう性格だというだけです。「老害」と言われる側も、元々若いときから自己中心的だったり、人に理不尽な要求をする性格だったりするわけで、それを時代が許していただけの話です。
若いときに「大人はわかってくれない」と言っていた人にかぎって、歳を取ったら「今どきの若い者にはわかってもらえない」と言います。もちろんわたしも、世代間のギャップに戸惑った経験はあるし、「『今どきの若い者は……』なんて言えたら気がラクだな」と思うこともあります。でも、言いません。
「江戸っ子はかっこよくそばを食べるために、つゆをつけたくてもほとんどつけない」という話がありますね。わたしにもそういう考え方があって、ずっとそう生きてきたので、「我慢慣れ」しているのです。「老害になるかメンターになるか」というテーマの本も出ているようです。
そのわかれ目は、必ずしも年齢ではないとわたしは思います。「前に出たい」という欲をコントロールして、「相手を認め、やらせてあげること」の価値に気づき、実行できるかどうかです。それができる人は、たとえ若くてもメンターになることができますし、どんなに年を重ねても老害になることはないでしょう。
秋田 道夫
プロダクトデザイナー