まひろにとって道長は「生きている理由」

――まひろは佐々木蔵之介さん演じる藤原宣孝と夫婦になりますが、まひろが身ごもった子供(賢子)は実は道長との子だったという展開についてはどんなふうに受け止めましたか?

吉高:まぁ、人間ですからね、 そういうこともあるんじゃないかなと。何事にもとらわれずに自分があるべき姿が(周りや世間による)「正義感」でどうにかなってしまって、正義感の戦いになってしまっているのが、自分の感性の豊かさを削っていくものなのかなとも思ったりしちゃって……。平安時代は人間の感性が先行していた時代で、それはそれで美しいんじゃないかなというふうには思います。

――まひろは元々道長の正妻じゃないとイヤだと言っていましたが、結局は道長との子をなしたことで「自信を得た」のような変化があったと思いますか?

吉高:もう宣孝と夫婦になっている時点でそんなのはなくなっていると思います。やっぱり若い頃は経験がないからこそ怖いもの知らずで何でも言えるというか、知らないからこそ言えることってあると思うんです。自分の可能性についてもそうで、どこか多く見積もっちゃったりするんだろうなと思うのですが、生きていてある程度年を重ねて経験を積んでくると、そうはなれない難しさっていろいろあると思うし、私たちの時代でもそうだと思うんですよね。そういうものがわかったというか、悟ったというか、自分の人生はこれ以上ないなというピークがわかったんだと思います。

――特別な絆で結ばれていたまひろと道長ですが、まひろにとってソウルメイトである道長はどんな存在だと思って演じられていますか?

吉高:道長とまひろはもう恋愛とかを超えてる次元なので、「戦友」とかでもないですし、多分「よりどころ」なのでしょうね。光と影の存在というか、まひろが影のときは道長が光っていて、まひろが光るときは道長が裏で支えてくれるというような……。

(C)NHK
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――まひろが『源氏物語』を書くようになって、まひろと道長の関係も変わっていくと思うのですが、そのあたりはいかがでしょうか?

吉高:変わったことは、立ち位置もそうですし、環境もそうですよね。これまでは日常生活で同じ空間にいるということがなかったから。こんなに一緒にいたい人2人が一緒にいられる空間になって、でもすごく近いのにすごく遠い関係にもなってしまったり……。

(まひろと道長は)一生結ばれないのだろうけど、子ども頃のまひろと三郎のほうが心の距離が近かった気もします。ただ、2人が惹かれ合っているのはずっと変わらない。道長のことをずっと思っていると思うし、思っている気持ちが爆発しないように一生懸命自分でフタをして、フタをした箱から自分で距離をとってという気持ちはあると思います。

でも、一緒に戦う、一緒に向かう方向を目指している2人としては、お互いがすごく心強くて……まひろにとって道長の存在は「生き甲斐」なんじゃないかなと。もはや「どうなりたい」とか「こうなりたい」とかではなくて、道長が生きていることが自分の生きる理由になっている、この世にいる理由という感じがしました。

(C)NHK
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