60歳でモデルデビュー、73歳で自分のお店を持つ、62歳で人生のパートナーに出会う……など、自分らしい生き方をしている60歳以上の女性51人をインタビューした『60歳からの生き方図鑑 いくつになっても「今がしあわせ」と言える女性でありたい』(百田なつき編著・グラフィック社)。本書の中から、「自分らしく生きている女性」を一部抜粋・編集してご紹介します。第1回目は、転機があるたびに仕事を替えて、還暦を過ぎてからパーソナルスタイリストを始めた、織田ゆり子さんにスポットを当てます。
人生の転機は40歳と51歳のとき
――人生最大の転機を教えてください。
転機があり過ぎましたが、その中でも最大の転機は、40歳で病気になって、仕事を替えなくてはならなくなったことでしょうか。音楽・放送関係の仕事は、NHKで作詞した『赤いやねの家』が小学生の教科書に載ったり、ミュージカルの脚本を書いたり、やりがいがあり楽しい仕事だったので、それをやめてしまうことはつらかったです。当時は心も荒れていたので、次々と恋人を作り、親と子どもにも迷惑をかけました。しかし家族が応援してくれて、IT業で身を立てるまでになったことは嬉しかったです。
もうひとつの転機は、51歳のとき、私の理解者でいてくれた父が脳卒中で倒れ、半身不随になったことです。父の会社の仕事を引き継ぎ、私が社長に就任しました。でも幹部と折り合いが悪く、2年で会社を追い出されることに。それもつらかったのですが、何より苦しいときに支えてくれて、一生を共にしようとした恋人に胆管癌が見つかり、半年で亡くなり、失意のどん底に落ち、毎日泣いて暮らす日々でした。
WEBとパーソナルスタイリストの仕事で生活費を稼ぐ
――日々のお金のやりくりについて教えてください。
年金では足りないので、WEB制作業やパーソナルスタイリストの仕事を続けて、生活費を増やすようにしています。衣食住には困りませんが、難病の脊柱管狭窄症は治ることのない病気です。動けなくなったら働けないことを実感したので、健康に気をつけることと、身軽であるために無駄な買い物は控えるようにしています。
古稀が近くなってくると、夢も目標もありせんが、少なくとも周りに迷惑をかけず、健康体を保っていけることが大事だと思っています。