リベラルな時代の波に乗った大谷翔平

ベーブ・ルースがアメリカ野球のヒーローになってから約1世紀後、大谷が「ベーブ・ルースの再来」と騒がれたわけだが、メディアが伝える大谷のキャラクターはルースとは似ても似つかない。私生活は質素で、四六時中野球のことを考えている、まるで野球少年がそのまま大人になったような存在だ。「子どもがそのまま大人になった」という点ではルースと同じかもしれないが、大谷にはルースと違って社会性があり、球場外で破天荒なふるまいをする気配もない。いかにも模範的な優等生である大谷は、ルースのように「酒と女に溺れる」なんてイメージも全くない。時代の違いもあるのだろうが、大谷とルースのキャラクターは真逆だ。

また、ルースが「白人のアメリカ人」という社会的マジョリティだったのに対して、大谷が「アジア人」という社会的マイノリティであるという点も見逃せない。ルースが活躍していた時代、野球はまだ「白人のスポーツ」で、MLBには白人選手しかいなかった。人種差別が当たり前の時代だった。しかし今日、人種差別は目の敵にされ、MLBは多国籍なリーグになった。人種や性的嗜好の多様性を重視する「リベラル」が支配的なイデオロギーとなり、欧米では社会的マイノリティを受け入れるどころか、彼ら彼女らが表舞台に出てくることを積極的に求めており、場合によっては社会的マジョリティの側が差別されるという現象まで起きている。

今日、欧米の広告業界ではCMのイメージキャラクターやモデルに「社会的マイノリティ」を積極的に起用することがルール同然になっている。白人だけでなく黒人やアジア人、男性だけでなく女性を登場させることがお決まりのコードになっているのだ。仮に少しでも人種差別を匂わせるような表現を含んでいた場合は、すぐさまSNSで炎上する。バッシングするのは現代のリベラル至上主義が生んだ、表層的な「ポリティカル・コレクトネス」に過剰なまでにこだわる人々だ。社会的地位の高い人物が過去に行った差別的な発言などの記録を引っ張り出し、その人物を社会的に抹殺することを指す「キャンセルカルチャー」なる言葉も生まれた。