7年8ヵ月もの超長期政権を築いた歴代首相・佐藤栄作。学校の授業では、日韓基本条約の批准や沖縄返還の実現、非核三原則によるノーベル平和賞の受賞などの功績とともに学ぶ人物ですが、実際はどのような人物だったのでしょうか。キャリア、名言、性格、エピソード等々、「教科書には載っていない話」も含めて見ていきましょう。伊藤賀一氏の著書『アイム総理 歴代101代64人の内閣総理大臣がおもしろいほどよくわかる本』(KADOKAWA)より一部を抜粋し、紹介します。
<前回記事>
日本史上、初の「テロによる政権交代」となった犬養毅…“教科書には載っていない話”がカッコよすぎる
※表記年齢は数え年で統一し、没年齢は、実年齢表記としています。
“自民党政治”の元祖、佐藤栄作
【就任の経緯】
直近の総裁選に敗れた佐藤栄作が、池田勇人(はやと)首相の病による退陣で後継指名を受け組閣。同世代のライバルが亡くなっていたこと、中国の文化大革命の影響で日本社会党の勢力が弱まったこと、「いざなぎ景気〔ベトナム特需〕」が起きたことなどが要因となり総裁に4選し、7年8ヵ月もの超長期政権を築いた。
※池田の「高度成長」「所得倍増」に対し「安定成長」「社会開発」を掲げたが看板倒れで、外交政策に本領を発揮した。
【就任時の年齢】
第一次内閣63歳、第二次66歳、第三次69歳
【退陣の理由】
長すぎて国民に飽きられたことを自覚し、総裁選の5選は狙わなかった。いわゆる“自民党政治”の元祖で、当選回数による年功序列、派閥均衡の閣僚ポスト選出、政治家の世襲、官僚依存型の利権・金権政治などが続いていた。
【キャッチフレーズ】
①「政界の團十郎(だんじゅうろう)」:
色黒で濃い顔と大きな目。十一代市川團十郎の「にらみ」からのあだ名。
②「待ちの政治」:
良くも悪くも積極的ではなく慎重。外交には向いている。
③「人事の佐藤」「早耳の栄作」「黙々(もくもく)の栄作」:
派閥を気にせず適材適所を考える能力に長けていた。また、分け隔てなく人と付き合うので情報通。ただし口が固く余計なことを一切喋らず新聞記者は嫌い。
【生没年】
1901年3月27日〜75年6月3日(74歳没)
岸信介(のぶすけ)の5歳下(早生まれなので学年は4つ違い)・河野(こうの)一郎の3歳下・池田勇人の2歳下。次世代である福田赳夫(たけお)の4歳上・田中角栄の17歳上。
【出生】
山口県出身
山口県熊毛(くまげ)郡 田布施(たぶせ)町で、酒造業を営む佐藤家の三男(三男七女)に生まれる。長兄は佐藤市郎(のち海軍中将)、次兄は岸信介(のち首相)。
【学び】
山口中学(現在の山口大学)→第五高等学校(現在の熊本大学)→東京帝国大学法科大学独法科卒業(23歳、在学中に文官高等試験〔高文〕合格)
総裁選挙で惜敗するも、「池田裁定」で内閣総理に就任→超長期政権へ
【キャリア】
1924年、鉄道省に入省(23歳、福岡県門司〔もじ〕鉄道局に配属)→従妹の寛子と結婚し佐藤家本家を継ぐ(25歳)→鉄道省在外研究員として欧米に派遣(33歳)→帰国して本省の鉄道局業務課(35歳)→監督局鉄道課長(37歳、華中〔かちゅう〕鉄路公司創設のため上海へ)→帰国し地下鉄紛争を処理(38歳)→監督局総務課長(39歳)→1941年、監督局長のち監理局長(40歳)→運輸通信省自動車局長(42歳、鉄道省・逓信省を合併)→大阪鉄道局長(43歳)→1945年、病で危篤となり疎開するが回復し帰阪(44歳、兄の岸信介が“A級戦犯”容疑者として逮捕)→運輸省鉄道総局長官(45歳、運輸省と逓信院に分裂)→運輸事務次官(46歳)→1948年、退官し吉田茂の民主自由党入党(47歳、無議席のまま第二次吉田内閣の官房長官で初入閣)→
…→1949年、衆議院議員に初当選し民主自由党政調会長(48歳)→自由党幹事長(49歳、民主自由党が改組)→第三次吉田内閣の郵政大臣兼電気通信大臣(50歳)→第四次吉田内閣の建設大臣兼北海道開発庁長官(51歳)→第五次吉田内閣で自由党幹事長(52歳)→1954年、造船疑獄事件で犬養健(たける)法相が指揮権を発動し検察庁の逮捕請求を免れるが政治資金規正法違反で起訴(53歳、幹事長を辞任)→1955年、保守合同により成立した自由民主党に不参加(54歳、吉田とともに無所属)→国際連合加盟の恩赦で政治資金規正法違反免訴(55歳)→自民党に入党(56歳、年末に前任者急逝のため第一次岸信介内閣で総務会長)→第二次岸内閣で大蔵大臣(57歳)→第二次池田勇人内閣で通商産業大臣(60歳)→通産相を辞任し欧米視察旅行(61歳)→北海道開発庁長官兼科学技術庁長官(62歳)→
…→1964年、自民党総裁選に出馬し敗れるが病となった池田に後継指名され第一次内閣組閣(63歳)→1965年、日韓基本条約調印(64歳)→東京都議会など一連の政界汚職「黒い霧」事件が問題化し衆議院解散(65歳)→1967年、第二次内閣組閣(66歳)→1968年、小笠原諸島返還(67歳、一時外相を兼任)→1969年、前年から続く大学紛争激化(68歳、東大安田講堂事件)→1970年、第三次内閣組閣、日米新安保条約自動延長〔70年安保〕(69歳、大阪万博開催)→1971年、環境庁発足(70歳、同年に訪中発表とドルショックという2つのニクソン=ショックが起こりアメリカに軽視される)→1972年、初の冬季札幌オリンピック開催・連合赤軍あさま山荘事件・沖縄返還(71歳、同年に総辞職)→1974年、ノーベル平和賞受賞(73歳)→1975年、病で亡くなり国民葬(74歳)
人間関係
【ライバル】
①池田勇人:
一高と五高を同時受験した時、同じ旅館に宿泊していたことで知り合う。2人とも五高のみ合格するが、池田は翌年一高を再受験し失敗したので年下の佐藤が一学年上となり、高校時代はほとんど口をきいていない。同じ「吉田学校」ながら、1955年の保守合同時に吉田と行動を共にした佐藤としなかった池田、という差もある。
②大野伴睦(ばんぼく)・河野一郎ら党人派:
官僚派の岸・佐藤兄弟は目の敵にされた。
【微妙な関係の人】
岸信介(兄):
佐藤の師・吉田茂の宿敵が鳩山のち岸。兄弟は同じ選挙区で競うライバルで、中選挙区制で2人とも当選するが、一度を除き弟が勝っている。また結婚前、妻の寛子は同じ従兄でも岸のほうに憧れていたという、いろいろ複雑な関係。
※とはいえ、高校・大学・文官高等試験を受験する弟の面倒を見たのは兄の岸で、巣鴨プリズン〔拘置所〕から出てきた兄の面倒を見て政治家に誘導したのは弟の佐藤。
【世話になった人】
①松岡洋右(ようすけ):
妻の伯父。国際連盟脱退時の日本代表でのち外務大臣。各所に推薦してくれた。
②吉田茂:
佐藤は「吉田学校の優等生」(池田は「転校生」)。特に自由党幹事長時代、造船疑獄事件で犬養法相に指揮権を発動させ救ってくれたことは大きい。ただ、常に言うことを聞いていたわけではない(そもそも兄が反吉田の岸なので…)。
【側近】
周山会(しゅうざんかい。もと木曜研究会)の佐藤派五奉行と岸派の福田赳夫
五奉行は田中角栄、保利茂(ほりしげる)、橋本登美三郎、愛知揆一(きいち)、松野頼三(らいぞう)。のち田中は木曜クラブを率い派閥を乗っ取る。残った保利グループは福田派の清和会に吸収。
新聞記者を嫌った佐藤栄作、記者不在の会場で「異例の退陣表明」を実行
【名言】
①「私は沖縄の祖国復帰が実現しない限り、我が国にとって戦後が終わっていないことをよく承知している」(1965年、戦後の首相として初めて沖縄を訪問して)
②「僕は直接国民と話がしたいんだ。偏向的な新聞は大嫌いだ! 新聞記者のいるところで話したくない。帰ってください」(退陣表明のための記者会見は無人でTVカメラに映る異様な会見に)
③「佐藤は運のいい奴だと言われるがその通りだ」(1974年、ノーベル平和賞授賞式後に)
【エピソード】
「(大野伴睦は)伴ちゃんと呼ばれて親しまれていた。私も栄(えい)ちゃんと呼ばれたい」と言ったことがある。しかし、吉本芸人で参議院議員の横山ノック〔山田勇(いさむ)〕が予算委員会で話題に出すと「場所をわきまえて」と不機嫌になり定着しなかった。
【佐藤栄作が始めたもの】
①ケネディ大統領を真似て自らのブレーン集団を組織(「Sオペレーション」と命名)
②敬老の日・体育の日・建国記念の日を祝日に追加
③アジア初のノーベル平和賞受賞:
1967年に衆議院予算委員会で非核三原則「もたず・つくらず・もち込ませず」を提唱、のち両議院で賛成され国是となる。また、1970年に核拡散防止条約〔NPT〕に調印したことも評価された。しかし、ニクソン大統領との密約で有事の際の沖縄への核持ち込みを容認していた事実が、のちに明らかとなっている。
【特徴】
癇癪(かんしゃく)持ち:
ギョロ目になり、机をバンバン叩き怒鳴る。妻や長男がそれを普通に暴露するので、アメリカの雑誌に「ワイフ・ビーター(妻をぶつ夫)」と書かれたこともある。
【趣味】
①トランプ:対戦もするが、独りでトランプ占いをするのも好き。常に食卓に置いてあるほど。
②日記(『佐藤栄作日記』):1952〜75年まで丹念に書き続けた。死後出版され、戦後史の貴重な史料。
【好き】
妻の寛子。身内と行くゴルフと釣り。
【嫌い】
河野一郎ら党人派とマスコミ。
【豆知識】
俳優・佐藤B作の本名は佐藤俊夫である。
伊藤 賀一
スタディサプリ講師
1972年京都生まれ。新選組で知られる壬生に育つ。法政大学文学部史学科卒業後、東進ハイスクール、秀英予備校などを経て、リクルート運営のオンライン予備校「スタディサプリ」で高校日本史、歴史総合、公共、倫理、政治・経済、現代社会、中学地理、歴史、公民の9科目を担当する“日本一生徒数の多い社会講師”。
著書・監修書に『改訂版 世界一おもしろい 日本史の授業』、『笑う日本史』『「カゲロウデイズ」で中学歴史が面白いほどわかる本』(以上、KADOKAWA)、『1日1ページで身につく! 歴史と地理の新しい教養365』(幻冬舎新書)、『くわしい 中学公民』(文英堂)など多数。