<前回記事>
【朝ドラで話題】ついに裁判官となった三淵嘉子(34歳)に、裁判長が告げた「驚愕のひと言」

三淵嘉子(48歳)、家庭裁判所判事になる

1962(昭和37)年、48歳の嘉子は東京家庭裁判所判事となりました。もともと、嘉子は自身が家庭裁判所で働くことに前向きではありませんでした。自分が家庭裁判所で働くことがきっかけになって、女性裁判官たちが家庭裁判所ばかりで働かされるようになることを心配していたのです。

嘉子自身は、「裁判は、結局は裁判官の個性ですからね。男性だから女性だからというより、裁判官個々の適格によるのです」と後に述べていますが、裁判所全体には「殺人とか婦女暴行の審理は女性には痛々しい」と考える傾向が(つまり、前回記事で述べた「特別扱い」が)あり、女性は家庭裁判所が向いているという声があったためで、そのようなレッテル貼りをされ、他の裁判所での活躍の機会を奪われることを、嘉子は警戒していました。

その気持ちから、嘉子は、法律によって事件を解決する訴訟事件で修業を積んだ上で、人間の心を扱う家庭裁判所の裁判官になろうと方針を立てており、50歳前後にならなければ家庭裁判所裁判官は引き受けないと決めていたのです。

やがて嘉子は、少年審判の充実と少年の健全な育成とに心血を注ぐように

嘉子自身は家事審判が希望だったのですが、ポストの関係で少年部(第9部)に所属することになりました。

嘉子がそれまで担当してきたのは民事訴訟で、刑事裁判を担当したことはなかったので、少年事件を担当することには不安もありました。

しかし、家庭局時代の上司(初代最高裁家庭局長)であった宇田川潤四郎に少年事件は少年を処罰するものではないから、刑事的な思考ではなく、むしろ民事の感覚が大切だと励まされ、前向きな気持ちになっていきます。

やがて嘉子は、少年審判の充実と少年の健全な育成とに心血を注いでいくようになります。

少年審判の手続は、少年法に細かな規制があるわけではなく、少年それぞれの個性や状況に対応することが重視され、審判にあたる裁判官の経験や人柄などによって作り上げられているものでした。

嘉子は、先輩の裁判官たちからそれらを受け継ぎつつ、自身の考えも盛り込みながら、少年審判を充実した意味のあるものにしたいと考え、そこにやりがいを見出していきます。少年本人、補導委託先の主幹、調査官、裁判官といつも納得のいくまで話をするというのが、嘉子のスタイルになっていきました。

また、自身が受け継いだものを次の世代に繋いでいこうとする意識も強く持って働いていました。

家庭裁判所判事としての嘉子の姿勢

そもそも家庭裁判所というところは、家事事件(家庭内の紛争。例えば離婚や遺産分割など)と少年事件(未成年者の犯罪、非行など)とを扱うわけですが、嘉子は家庭の平和と少年の健全な育成をはかるという目的自体は、この2つにおいて一致していると考えていました。

家庭裁判所では、法律の視点だけでなく、当事者の気持ちや環境を深く理解することが求められます。家庭裁判所が持っている独特の(他の裁判所とは大きく違う)雰囲気に、赴任当初の嘉子は戸惑うこともあったようです。

嘉子が出会った家庭裁判所で少年事件を担当する裁判官たちは、少年のためにという使命感や、弱者の幸せを守る「とりで」としての信念をもち、当事者のためにより良い方法を見つけ出していこうと考えていました。このような家庭裁判所の価値観と雰囲気とに、嘉子は当初驚いたわけですが、とはいえこれは、嘉子自身がかつて家庭局時代にイメージしていた家庭裁判所の姿でもありました。

嘉子は、家庭や学校、職場からはみ出した少年を、健全な社会に適応できるようにしていくこと、言い換えれば少年の生活環境を作り上げていくことに、責任を感じて取り組んでいきました。

殺人、強盗などの悪質な少年事件においても、嘉子は1対1で裁判をする際には、警察の前で少年たちが見せる犯罪者の面も、裁判官の前で見せる幼い少年の面も、両方ともそれは少年の真実の姿であると考え、少年の中にある純粋な人間的な心を感じることに努め、少年の更生の可能性を信じると決めていました。

嘉子は、家庭裁判所の意義を「裁判所の福祉的役割」だと説明しています。

そこには、一般の裁判所の厳格な雰囲気と比べて、「人間の福祉を考える人間的雰囲気」があり、それを大事にしていきたいと心に誓っていました。

また、嘉子は、少年審判における調査官の存在をとても大事に考えていました。

調査官の職務は、法的な知識・思考だけではなくて、行動科学(心理学・教育学・社会学など)に関する専門的な知識や思考をもとに、多様な調査(家庭内のトラブルの解決や、少年の立ち直りに向けて)を行うことですが、嘉子はこの専門性の部分を特に重視し、さらに裁判官との協同が大切だと語っていました。

本書『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』で先に述べたアメリカ視察の際の感想と同じ考え方で(ただし、そちらの感想は主に家事審判に対してのものでしたが)、専門性を重視するという嘉子の姿勢は一貫していたことがわかります。

神野 潔 
東京理科大学教育研究院 教授 
1976年生まれ。2005年、慶應義塾大学大学院法学研究科公法学専攻後期博士課程単位取得退学。東京理科大学理学部第一部准教授、教授等を経て、現在、東京理科大学教養教育研究院教授。専門は日本法制史。主著に『教養としての憲法入門』(編著)、『法学概説』『概説日本法制史』(共編著)(弘文堂)などがある。