「現在の男性たちには、案外、低く鈍く冴えない人生を幸福に生きていくというモデルがあまりないのではないか」。批評家・杉田俊介氏はこのように指摘します。保守的で家父長制的な男らしさか、リベラルでスマートな男性モデルか、それくらいしか選択肢がない。そうした規範的なライフスタイルからこぼれ落ちたときにも、そこそこに幸福でそれなりに自由な生き方ができるというイメージを持っていない…。「高齢男性が幸福を感じにくい理由」を見ると、“男らしさ”の呪縛が浮かび上がってきます。杉田氏の著書『男がつらい! - 資本主義社会の「弱者男性」論 -』(ワニブックス【PLUS】新書)より一部を抜粋し、解説します。
「幸福を感じにくい高齢男性」の特徴
NPO法人「老いの工学研究所」理事長の川口雅裕の記事「男性高齢者の充実度・幸福度が低い理由」(https://www.insightnow.jp/article/8383)によれば、人生のそれぞれの時期の発達課題をうまくクリアできず、老年期に幸福を感じにくいのは、次のような男性である。
●身体的な衰えを受け入れられない(嘆く、抗う)
●“稼ぎ手”以外の役割が見いだせない
●配偶者に依存しすぎている
●趣味や地域でのつながりが持てない
●社会貢献への意欲が乏しい
●高齢期にそぐわない住まいや周辺環境である
それまでの人生の中で女性たちは、会社での仕事=賃金労働以外にも趣味や地域活動、友人関係などで様々な役割を見いだしてきた。これは、政治や正規雇用の場から排除されているために、見いださざるを得なかった、という側面もあるだろう。それに対し、仕事中心の男性は、会社への帰属を失うことが、そのまま、居場所や社会的役割のすべてを喪失することにつながりがちなのである。
高齢男性の幸福度や生活満足度が、就業者/非就業者という違いによって、ここまで大きく異なるのは、先進国では日本だけだという。
ちなみに、これは高齢男性に関するデータではないが、東北新社が同社運営のサイト「家men」で実施した「家族を持つ男性の幸福度」に関する調査(全国の20~40代の、子どもを持つ既婚男性2444名が対象)によれば(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000081・000014654.html)、家事をする時間がある程度長い男性の方が幸福度が高い、という結果が出ている。また同調査では「家の中の事だけでなく、外との繋がりを大切にしている男性が幸福度が高い」と分析されている。
日本の高齢男性は、高齢女性に比べて、(仕事以外の)地域参加・市民参加の度合いが極端に低いことが他の調査でも指摘されている。
ただし、ここには地域差もあって、都市部よりも農村部の方が、引退後の男性たちは地域参加に熱心だという。楠木新『定年後──50歳からの生き方、終わり方』(中公新書、2017年)によれば、東京と地方の定年後はライフスタイルが異なる。地方においては、農作業や自治会の役員など、定年後もいろいろな役割があるが、都会ではそうではない。都会では会社組織を離れると社会とつながる機会がとても少なくなる。
従来型の「男らしさ」がもたらす孤独感
以上をまとめると、次のようになる。
●男性の幸福度は、会社での労働に強く依存している。
●しかしそれは、家庭における妻の存在、つまり「配偶者のケア、家事負担」に大きく支えられている。
●育児・家事・介護のスキルを身につけていない人が多い。
●社会的・市民的義務(ボランティアなど)を軽視し、仕事以外の人付き合いを避けてきたため、地域社会とのつながりも弱い。
これらの要素が退職、熟年離婚、妻との死別などをきっかけとして、高齢男性を急速に孤立へと追いやっていく。
高齢男性の自殺は、労働問題や経済問題のみならず、孤立が要因であることが多いと言われる。男性が理想とするライフスタイルとは、男性稼ぎ主モデル+妻依存に大きく傾いているのである(子どもや孫の存在は、統計的には必ずしも大きくない)。
そして、もちろん中年男性や若い男性にとっても、ここまで確認してきたような高齢男性の孤独感は、決して他人事ではない。
杉田 俊介
1975年生まれ。批評家。自らのフリーター経験をもとに『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)を刊行するなど、ロスジェネ論壇に関わった。ほかの著書に、『非モテの品格――男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書)、『宮崎駿論』(NHK出版)など。『対抗言論』編集委員、「すばるクリティーク賞」選考委員も務める。