(※写真はイメージです/PIXTA)

「富国強兵」をスローガンに、近代化を目指した明治の日本。江戸時代までの“封建的な社会”ががらりと変わった時代ですが、この大きな変革のひとつが「貨幣・金融制度」です。原価25円の“紙切れ”である「1万円札」が、なぜ1万円の価値をもつようになったのでしょうか。有名予備校講師で『大人の教養 面白いほどわかる日本史』(KADOKAWA)著者の山中裕典氏が解説します。

貨幣・金融制度

近代的な貨幣制度は、どのように始まったのか?

政府は、本位貨幣制金本位制[金が正貨]・銀本位制[銀が正貨])を欧米にならって導入しようとしました。戊辰戦争の戦費のために政府が発行した太政官札などは不換紙幣で、江戸時代以来の金貨・銀貨・銭貨や藩札も流通したため、新貨条例(1871)で統一的な貨幣制度を整えました。

 

円・銭・厘(十進法)で単位を統一し、金本位制を採用したものの、貿易では銀も用いられ、兌換制度は確立しませんでした。

 

そこで、各地の民間資本に換紙幣を発行させるため、政府は渋沢栄一の推進のもとで国立銀行条例(1872)を制定しました。これは、アメリカのナショナル=バンク制度にならい(“National”は「国法に基づく」という意味であり、「国が経営する」という意味ではない)、民間銀行である国立銀行に換銀行券(国立銀行券)を発行させ、保有する正貨との兌換を義務づけました。

 

しかし、民間での正貨の確保は難しく、渋沢栄一が頭取となった第一国立銀行など4行しか設立されませんでした。兌換制度の確立は困難だったのです。

 

国立銀行による兌換制度の試みは、どのような結果を生んだのか?

そこで、政府は国立銀行条例を改正(1876)して、国立銀行の正貨換義務を廃止しました。正貨を確保しなくても良いので、国立銀行設立が容易になりました。また、この年は秩禄処分が断行され、金禄公債証書を得た華族・士族が銀行設立に参入しました。

 

その結果、国立銀行が各地で増えて第百五十三国立銀行まで設立されたものの、国立銀行が不換紙幣を大量に発行することで紙幣価値が下がり、物価が上がるインフレーションとなりました。これは、政府の歳出増につながり、財政難をもたらします。結局、国立銀行を用いた兌換制度の確立は失敗し、兌換制度は1881年に始まった松方財政で確立しました

 

次ページそもそも、貨幣とは何か?

※本連載は、山中裕典氏による著書『大人の教養 面白いほどわかる日本史』(KADOKAWA)より一部を抜粋・再編集したものです。

大人の教養 面白いほどわかる日本史

大人の教養 面白いほどわかる日本史

山中 裕典

KADOKAWA

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